『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義(津本陽著・文藝春秋)』。
保江邦夫氏の師にあたる故・佐川幸義氏について書かれた本。
時代小説好きの母と、鹿島神流使い手で柔道整復師の若者(『黒帯』(後編)に登場)のご推薦です。
自らも居合をなさる作家の津本陽氏が、初めて大東流合気武術・佐川幸義総範に出会ったのは昭和62年のこと。
大東流合気柔術の祖、武田惣角師に幼い頃から師事し、70歳で「体の合気」を体得。
85歳になっても、現役の武道家として道場で門人を投げ飛ばしている、日本でただ一人「合気」を完全に習得したとされる方。
資産家の佐川総範は、自己宣伝をまったくせず、長男を失くしてからは、寝たきりの次男の世話をしながら、東京・小平市の道場で、ひっそりと武田惣角師から受け継いだ「合気」の研究に生涯を費やしている。
……津本氏でなくても、興味をひかれますね。
武田惣角氏を題材にした『鬼の冠』、植芝盛平翁を題材にした『黄金の天馬』などの伝記小説を書かれている津本氏は、「合気」について若干知識があったつもりでしたが、佐川総範の「合気」は、津本氏の想像をはるかに超えていました。
「目にも止まらぬ速さの突き。先生がすこし身を動かせば、相手の全身から力が抜け、大の男が、あっけなく投げ飛ばされる」
……とても80過ぎの人にできることとは思えない。
「力まかせにおさえつけた手を軽々と揚げ、2メートルほど離れた畳に投げ飛ばされる。激しい勢いで畳に当たっても痛みはまったくなく、なぜか気持ちがいい」
……「麻痺系合気」というものでしょうか。
先日、私が夫にかけられた「合気」は、前に突然食らったことのある「気の遠当て(『心眼』(前編)参照)」に似て、びりびりする「衝撃系合気」でしたが。
「合気」の形は色々とあるのかもしれない。
「合気揚げ、つかまれた両手首や片手首を上にはずす練習から、力を使わずに相手の手を、揚げるコツをつかむ。手の合気がわかると、足へ、そして体全体を使った合気に変化する」
……合気上げが基礎として重視されているのは、そういうわけだったのですね。
「肩の力を抜き、手首に力を集めると、押さえ込まれた手を揚げやすい」
……座技呼吸法に応用できそう。
「二本足で立つものは必ず倒れる」
……同じことを師範がおっしゃっていました。
「合気には力がいらないが、合気を使うためには肉体の鍛錬が必要。人間は70歳までは鍛えれば、筋肉をつけることができる。あとはその筋肉を維持する」
……ふうん。そうなのか。
私は不惑を過ぎましたが、70歳まで、あと30年近くあるなあ。
「鍛錬のため、毎日四股を1000回踏め」
……なるほど。夫が、「お前は喘息持ちやし、背骨はずれとる(腰椎分離症)やから、大東流は体力的に無理や」と、大東流を習うことを頑強に反対した理由が、やっとわかりました。
「結局、肩に力を入れないことが大事。鍛錬によって、必要なところに集中できる」
……鍛えた体とリラックス。両方が必要なんですね。難しいや。
なぜ、私がこれほど「合気」にこだわるのか……
「合気を身につけたい」というより、「自分が負けたものの正体を知りたい」というのが本音。
13年前の夫婦喧嘩で、私は夫に合気投げをかけられ、玄関先で投げ飛ばされました。(『合気道へ(前編)参照』)。
あの時、夫が「俺が悪かった!」と叫んで泣き崩れなければ、とどめを刺されていました。
ちなみに、この時の勝負、私は「完敗」と思い、夫は「不覚やった」と反省して和解する。
……奇妙な結果になったのですが。
合気道をはじめて1ヶ月目。
私は夫に「玄関先で私を投げた技は何?」と訊いてみましたが、夫は「それは、お前が、稽古続けとったらわかる」と、にやりと笑っただけ。
初段になる直前、それが「合気投げ(合気道の呼吸投げにあたる技)」と知ったのですが。
今、あの技をかけられても、たぶん、受身を取るのが精一杯で、技から逃れるとか、返し技をかけるとか、そんな余裕はありません。
佐川幸義総範……
『十年たっても二十年たっても、誰も私に追いついてこない。皆、もっとしっかりして、感覚をとぎすましてくれないと困るよ。受信器がしっかりしていなければだめだ』
そう嘆きつつ、病の身をおして「師を越える合気の高み」を目指した「孤塁の名人」は、平成10年に亡くなりました。
享年95歳。最後まで現役の武道家でした。
そして、佐川総範の存命中、その「体の合気」を、総範から直接受け継ぐことができた高弟はいませんでしたが……。
佐川総範から、すべての合気之術の直伝を受け「佐川伝大東流」の集大成を託された武術研究家の高橋賢氏。
総範の没後、「体の合気」を体得。
「人体は物質的システムの肉体と、目に見えない非物質的システムでできていて、非物質システムが肉体の動きの安定や強さを支える。合気はその非物質的システムのスイッチを切る技術」と考え、「合気」の謎を解明しようとする数学者の木村達雄氏。
高弟たちは、今も「合気」の探求を続けています。
合気武術の継承者たちは、師の領域の「合気」までたどりつけるのか。
「合気」の謎の解明は、どこまで可能なのか。
……今後が気になりますね。
結局、この本にも、「合気のかけ方」は書かれていませんでした。
でも、「合気」に対して、苛烈なほど求道的な佐川総範と、総範と同じレベルにたどりつけない絶望をいだきつつも、総範を慕って合気の修行を続ける門人達の姿が印象的。
なかなかいい本でした。
6月初旬、「今月の武道系、何を書こうかなあ。リクエストきてないし……」と悩みつつ、私は図書館へ。
本の返却手続きをしようと寄ったカウンターで、職員に「予約本が来てますよ」と、大東流合気武術について書かれた本、『合気開眼』と『孤塁の名人』をワンセットで、ポンと目の前に差し出された時、目に見えない何者かに「してやられた」ような気がしました。
でも、まったく別の時期に発注しておいた、この2冊が、バラバラのタイミングで手元に届いていたら、「合気」をテーマに武道系コラムを書く機会がなかったかもしれません。
不思議なこともあるものですね。
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「む〜」と,またも深く唸ってしまいました。
以前の「武道vs物理学」のコラムを拝見して,図書館で借りて読みました。なかなかショックでした。今回も同じ思いをしそうです。
相手は、力の入らないまま崩されていく不安から、必死で仕手を掴みにきますが、握った手は握るほど硬直しっぱなしになり、ますます術中に嵌ってしまいます。
中国に「引進落空」という、似た技術がありますが、やはり早く技をかけない限り、相手は反応起こしてしまいます(完全制圧はできない)。
7世紀ごろから研究されてきた日本固有の「絶技」と考えてよいようです。
宴会芸と揶揄する輩には、わからないものです。