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2008年08月30日

祭りの力

昨年、大阪・池田市民で友人のゆんさんのリクエストで、池田伝統の祭り「がんがら火祭り」をとりあげました。
 
この記事は意外にアクセスが多く、地元のサイト『北摂TIMES』や『にほんブログ村・大阪』から、たくさんの来訪者の方が来られました。

去年放映の『豊中池田コミュニティチャンネル:がんがら火祭り生中継』を見て、思わず「がんがらの中継なんか、よさこいの中継なんか、はっきりせんかい!」と『奇妙な祭り』に書いてしまいましたが、さて、今年はどうなのかな……。

池田市役所前に放送ブースが作られ、地元の郷土史家が、がんがら火祭りの歴史に語りだしたのはいいけれど……。
隣で行われているらしき、よさこいソーラン踊りの音がうるさくて、聞こえんじゃないかっ!

それに気づいた郷土史家も、よさこいに負けじと大声を張り上げるようになったので、うるさいったらありゃしない。

それはさておき、300年以上の歴史を誇る「がんがら火祭り」は、池田愛宕神社と京都愛宕神社の恩寵を受ける星の宮神社。
ともに火の神様を祭る神社が、家内安全を願って繰り広げる伝統の祭り。

池田のシンボルの五月山西側に、城山町地区(池田愛宕神社の氏子)の人々が、池田愛宕神社の御神火で「大一」文字を点火。
神火を点した重さ100キロ、長さ4メートルの大松明を繰り出し、半鐘や八丁鐘を「がんがら」と鳴らしながら、池田市内を練り歩く。

一方、建石町地区(星の宮神社の氏子)の人々が、京都愛宕神社から星の宮にいただいた御神火で、五月山東側に「大」の火文字を点火。
子供たちが火を点した松明をかかげて、五月山から、ふもとの星の宮神社まで下り、御神火をお納めする。……

池田愛宕神社は池田の人たちが建立した神社で、星の宮神社は京都愛宕神社を勧請して建立されたという複雑ないきさつはありますが、同じ8月24日に行われる、この二つの火祭りを総称して「がんがら火祭り」と呼びます。

郷土史家は、大松明の模型を片手に熱心に解説。
大松明は二本一組で、3基ありますが、6本の松明を、そのまま垂直に立てるのではなく、わざわざ2本ずつ頭の部分を組み合わせて「人」の字にして、町を練り歩くのは、五月山に点る火文字「大」が「天」、「一」が「地」、そして松明が「人」を意味するからだそうです。

この大松明や子供松明、火文字に使われるのは油分の多い肥松(こえまつ)。
樹齢40〜80年の赤松か黒松を伐採した後、10年以上経った切り株の根から採れるもの。
肥松に火を点すと、芳香が漂い、雨でも風でも火が消えず、長時間燃え続けるのですが、今は入手困難になってきているとのこと。

ここで、ゲストとして、がんがら火祭りの赤いハッピを着た池田市長の倉田薫氏が登場。
さまざまなアイデアやイベントで、池田の町おこしのために尽力されている方。
「がんがら火祭りを岸和田のだんじり祭りのような、大阪を代表する祭りに」と語ります。

『岸和田市:だんじり事典』サイトによると、「岸和田だんじり祭」の起源は、元禄16年(1703年)、時の岸和田藩主岡部長泰(おかべながやす)公が、京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願した稲荷祭。

火伏せ(防火)の神様を祀る池田愛宕神社の「がんがら火」の起源が正保元年(1644)年。

歴史の古さでは同格で、しかも、猛スピードで街角を曲がる山車が「下手をすれは家に突っ込む」岸和田だんじり祭と、燃える大松明を抱えて町中を歩き「松明が倒れれば火事」の「がんがら火」は、ともに男っぽい、いなせな祭りと言えましょう。

倉田薫市長は、地域振興のためならば、橋元大阪府知事と喧嘩をすることを厭わないほどの熱血漢ですから、そのうち本当に「がんがら火祭り」は、「岸和田だんじり祭り」並みに有名になるかもしれませんね。

さて、『大阪池田のがんがら火』公式サイトによると、祭りが始まった当初は「百味の箱を竹に立て火を灯した」簡素なものでしたが、灯篭に火をつける形を経て、現在の大松明の形になったのは、1928(昭和3)年。
星の宮神社の松明行進もはじまりました。

ここで、星の宮神社の氏子の子供たちが祭りのハッピを着て、八丁鐘を鳴らしながら山に登る映像がVTRで流れ、「今は町を離れている人も祭りに参加します」との解説。

整然と並んだ鉄皿の入れられた肥松に火が点り、黒々とした夜の山の斜面に浮かび上がる鮮やかなオレンジ色の「大」文字。
松明を掲げた子供たちの誇らしげで、うれしそうな顔。

一方、池田愛宕神社のVTR。
御神火をいただいた小松明をかついだ若者が山道を走るように下り、山のふもとの油かけ地蔵前で、待機していた大松明に点火。
白いねじり鉢巻に黒い大工装束の男衆が、赤々と燃え上がる大松明をかつぎます。

夜空を赤く染める大松明が2本、昔の罪人を捕らえる時に使った「さすまた(先端が「U」の字になった棒状の武器)」で上部を固定されて「人」の字が完成。歓声が起こります。

6本の松明が一対で3基、1基あたり十数名の若衆がかつぐのです。
松明を支える人、綱で松明を引く人、さすまたで松明を固定する人の頭上に、雨のように降りかかる松明の火の粉。
これを防ぐためにヒバの枝を振り回す役目の人もいるのですが、火の粉が強すぎて全然役に立っていない。

半鐘や八丁鐘が打ち鳴らされる中、まともに降り注ぐ火の粉の熱さをものともせず、松明をかつぐ日焼けした男たち……かっこいい!

車がすれ違えるかどうかの狭い旧市街を、時折ふらつきながら進む大松明。
勢いよく燃える松明が民家の軒先をかすめるたびに、ひやひやします。
民家の屋根の樋を壊したこともあったそうですが。

よく考えると、大変危ない祭りなのに、「祭りやからしょうがないわ」で、すましている池田の人々は、がんがら火を、こよなく愛しているのですね。

その頃、星の宮神社には、松明をかかげた子供たちが到着。
松明を神前にお納めします。

燃え上がる松明の山。
炎に照らされて、さびしそうに、時々ふりかえりながら、親に手を引かれて家路につく子供たち。
「がんがらが終われば、子供たちの夏も終わります」と、しんみりとしたナレーションが流れます。

そして、池田市役所前大通りの放送ブース前に到着した、がんがら火の大松明。
ここで6本の松明が一つに組み合わされ、広い大通りを埋め尽くした観衆から拍子と歓声が沸き起こります。

勢いよく漆黒の空を焦がす炎、立ち昇る黒煙、舞い散る火の粉。
大松明を見上げる男衆の誇りと自信に満ちた表情……祭りのクライマックス。

ここで大松明は、新たな大松明に火をつけかえられ、さらに池田市内を練り歩くのです。

放送ブースから遠ざかる大松明。
観衆も潮のように引いていき、半鐘や八丁鐘の景気のよい音も、やがて聞こえなくなり、しんと静まりかえった暗い市役所前大通り。

まさに「祭りの後」といった感じ。……いやあ。よかった。今年の中継は。
去年は、「がんがら火祭り」なのか「よさこい」なのかわからない中継でしたが、今年は見事に「よさこい」を無視した番組構成。(『がんがら火祭り』だから当たり前か)

今回、ZAQ・豊中池田ケーブルテレビのご好意により、「がんがら火祭り」の動画と地図のページにリンクさせていただきましたので、ぜひご覧になってください。

私の住む市では、これほど伝統の力が強い「市をあげた祭り」というのがないので、ちょっと池田市民がうらやましいですね。
タグ:池田
posted by ゆか at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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