私の所属道場には、通称「初心者クラス」というものがあります。
この時間は、道場長代行のご指導で、合気道の基本の動作の前回り受身、後ろ回り受身、膝行、体の転換。
基本技、片手取り四方投げ、正面打ち一教、正面打ち入身投げ、座技呼吸法、諸手取り呼吸法の5つの技だけを稽古します。
「同じ技ばっかりやっても、しゃあないやん」と思われた方もおられるでしょうが、どんな物事でも基本は大事。
道場に来た当初、うっかり者の私は、有段者の多い比較的難しい技を稽古する時間に紛れ込んでしまい、△△師範(『合気道へ(中編)に登場』)に、「君の受身は実に危なっかしい。金曜日の初心者クラスで、もっと受身を稽古してきなさい。ケガをするぞ」と叱られました。
実際に、まったく受身が取れない状態で技をかけられると、頭を強打したり、鎖骨を折ったりするので、大変危険。
夫(武道13段)からも「前回り受身が苦手やと! そんなことでどないすんねん! 受身ばっかりやる稽古の日があるんやったら、技よりも、そっちが先や」と叱られ……初心者クラスへ。
最初の稽古の日、道場の端から端まで何度も前回り受身、後回り受身をした段階で、頭がくらくらしました。
それでも、なんとか最後まで稽古を続けると、翌日は全身筋肉痛。
情けない話ですが。
それでも、毎回基本技を繰り返し稽古していると実力がつきます。
茶帯(上級者)になるころには、「初心者の時に基本を繰り返して稽古したか、そうでないか」が、はっきり現われ、その後の上達の早さ、技のうまさも全然違う。
私が初めて入ったころの初心者クラスは、本当の初心者と白帯(5〜3級)ばかりでしたが。
今は、私も含めて、その初心者が茶帯や有段者になり、そのまま基本技の稽古を続けていて、白帯と、茶帯・黒帯(有段者)が半々。
こうなると「初心者クラス」というより「基本技クラス」と呼ぶ方が正確かもしれません。
この日、稽古開示時刻より遅れて道場に出かけた私は、道場の扉を開いて、思わず「ありゃぁ」と呟きました。
いつも指導されている道場長代行の姿がない。
畳の上で白帯たちが円陣を作り、その中心で稽古の見本の演武をしているのは、茶帯の外国人と、後輩の若者(『観照』(前編)で活躍)。
有段者が誰もいません。
私が道場に入ると、茶帯の外国人が近づいてきて、流暢な日本語で話しかけてきました。
「オ待チシテオリマシタ」
「えっ、私を」
茶色の顎鬚を生やした彼は、にこにこしながら言いました。
「代行ハ急用デ、イナイデス。「有段者ガ後デ来ルカラ、ソレマデ、ミンナト稽古スルヨウニ」ト言ワレマシタ」
後から来る有段者……私?
おいおい。そんなこと、全然聞いてないぞ。
まれに、初心者クラスの指導者がおらず、その場に居合わせた有段者が、代理で稽古をつけることがあります。
例えば、道場長をはじめ、主だった師範たちが海外の道場の指導に出かけられていて、留守を預かる道場長代行が突然の用事で不在。
代理の指導者(高段者)の都合がつかないケース。
「ゼヒ、ミンナニ、ゴ指導シテクダサイ」
彼は薄茶色の目を大きく見開き、真剣な顔で迫ります。
私は腕組みをして「うーん」と、うなりました。
確かに、私は、今ここにいる門下生の中で、ただ一人の「有段者」だけど。
道場長代行の見本演武の受身をとって、初心者の指導のお手伝いをすることはありますが。
「指導者」の経験はありません。
10人もの茶帯白帯相手に、全員に細かく目配りして、ケガや熱中症などのトラブルもなく、安全に稽古をつけることができるのか……。
とりあえず、道着袴姿に着替えた私は、稽古を続けている10人の顔ぶれをみて、考え込みました。
茶帯の外国人と後輩の若者、茶帯紺袴の女性外国人は問題なし。
白帯のうち、秋の昇級審査で茶帯(2級)になれそうな実力の持ち主が3人。
入って間がないけれども、とりあえず、受身ができる人間が3人。
あと、見かけない顔だけど、身のこなしから他武道経験者と思われる白帯が1人。
「会長! 俺も手伝いますよ!」と声をかけてきたのは、後輩の若者。
「ワタシ受ケヤリマス。大丈夫」と励ます茶帯の外国人。
「僕もがんばりますから」と、にこやかにうなずく、本職は消防士、早ければ次の審査で茶帯になる白帯の若者。
技は稽古しなれた基本技ばかり。
2人一組だから、経験者と初心者の組み合わせで……これだったら、なんとかいけるかも。
私は道場の壁の時計を見ました。
この時間は、前回り受身、後ろ回り受身、膝行、体の転換。片手取り四方投げ、正面打ち一教、正面打ち入身投げ、座技呼吸法、諸手取り呼吸法。
これを順番通りに稽古しています。
今稽古している技は正面打ち入身投げ。
残り時間と技の見本演武、稽古時間を考えると、稽古できる技は、あと3つ。
定番の座技呼吸法と諸手取り呼吸法をしたほうが無難かな。
そうすると、自分で決める技は、あと一つ。
「ドンナ技デモイイデス。好キナ技ヲ」と言われたって、白帯が半分以上なんだから。
杖を使った武器技や、失敗したら関節を痛める後両手取り三教などの難しい関節技、受身に失敗したら骨折の危険がある回転投げなどの技を稽古するわけにはいかない。
無難なところで、3級の審査に出てくる技「正面突き小手返し」ぐらいか。
では、正面突き小手返し、座技呼吸法、諸手取り呼吸法で、整理体操して稽古終わり……。
よし、これで決まり。
私は稽古していた外国人の彼に声をかけました。
「正面打ち入身投げ、ずいぶん長く間やってるようだけど。何分ぐらい続けてる?」
「モウ15分ニナリマス」
いかん!
気温が30度以上あるのに。
このまま続けたら、熱中症になってしまう。
あわてた私は、手を打ち鳴らし、技の稽古を終わらせました。
みんなに円陣を組ませて休ませ、自分は円の中心へ。
見本の演武で受身をしてくれる彼を呼びました。
「それでは、次の技に移ります。正面突き小手返し」
……次回に続く……
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いいですね。早くまた行きたいです。
そのときは、先輩、よろしくお願い致します。