『百均文具の世界』にコメントをいただいた摂津さんから、「ちょっと古めの文房具の御話も混ぜていただけませんか?」というメールが届きました。
近所のフリーマーケットで矢立を見かけて、ふと思いつかれたそうです。
矢立……昔の携帯筆記具ですが。
「矢立」には2種類あって、一つは小さな硯箱「矢立の硯」。
もう一つは、墨壷に筆を入れる筒がついたもの。
『奥の細道』で、松尾芭蕉が旅立ち(矢立初め)の句として「行く春や鳥啼魚の目は泪」と詠んだのは有名ですが、芭蕉が使ったのは、墨壷つきの筆入れの方。
中国から伝来した筆は、硯・墨・紙とともに「文房四宝(文を書く時に欠かすことができない四つの宝)」とされている最も古い文具の一つ。
書写教育がご専門の、上越教育大学の押木秀樹準教授のサイト、『上越教育大学@押木研究室』に充実したリンク集があるので、文房四宝の世界を、ちょっとのぞいてみましょう。
まず、筆。
『書道用品・和画材市場ユニカ』サイトによると、その起源は古く、中国の殷時代(紀元前1600年〜1028)の出土品に筆文字が書かれた甲骨片があります。
日本へ筆が伝来した時期はわかりませんが、すでに、大宝年間(701〜704年)に国産の筆が作られていたようです。
現存する日本最古の筆は正倉院の「天平筆」。
次は硯。
最古の硯は秦(紀元前212〜前202年)の出土品。
石の硯と磨石の間に天然の黒鉛を挟み、つぶしたり、練ったりして使っていたようです。
現在の硯板で磨るための固形墨が現われたのは、後漢(紀元25〜220年)の頃。
円形の硯と円錐形の墨が描かれた壁画のある墓が発見されています。
中国産では端渓硯、澄泥硯、歙州硯。
国産では、雨畑石(山梨)、龍渓石(長野)、玄昌石(雄勝石・宮城)、・赤間石(山口)などが有名。
最古の墨は、秦(紀元前212〜前202年)の墓から石硯・磨石とともに出土したもの。
最初は天然の黒鉛でしたが、後に煙煤を丸く固めたもの(墨丸)になりました。
国産の墨は大宝元年(701)に登場。
紙は、前漢(紀元前202〜8年)の出土品が確認され、「紙の発明者」とされていた蔡倫(?〜紀元107年)は「紙の改良者」に。
推古天皇十八年(610年)に紙と墨の製法が日本に伝来。
現存する最古の紙は、正倉院の大宝二年(702年)の戸籍用の楮紙。
硯で墨が磨れるのは、水でふやけた墨が、硯にある鋒鋩(石英などのざらつき)で削られるからです。
つるつるした表面の硯で墨は磨りにくい。
でも、ざらつきが多過ぎると、墨がひっかかって磨りにくく、墨の粒子が粗くなって墨液の質も悪い。
しかも、質の悪い硯は、墨と一緒に磨耗していくこともあるらしい。
……難しいものですね。
では、文房四宝の選び方。
墨は『長幸堂.com』から。
墨は煤と膠と香料を練り合わせて固め、乾燥させたもの。
煤の種類によって、松を燃やした煤で作った松煙墨(青墨、水彩画や仮名文字用)。
菜種油、胡麻油などの煤から作られる油煙墨(黒墨、漢字用)。
安価な石油原料の墨(カーボンブラック)に分かれます。
具体的には、手に持ってやや重量感のあるもの(よく練られて緻密な墨質)。
墨同士を軽く叩くと金属音の出る、よく乾燥されたもの。
墨の表面に粒や練りシワのないもの、端正で、しっとりした風合いのものを選びましょう。(『奈良製墨協同組合』サイト参照)
筆は、馬、羊、イタチ、狸の毛など、色々な素材がありますが、明代の屠隆の『筆の四徳(「尖」「斉」「円」「健」)』が基準。
特に細筆の決め手となる、穂先の部分がとがっている「尖」。
穂先の毛材がバランスよく整っている「斉」。
墨を含んだ時に、不均等なふくらみやねじれを生じないために、穂全体が整然とした円錐形になっている「円」。
ほどよい穂先の腰の弾力がある「健」。
硯は色目のきれいなもの。
硯面に触れると手に吸いつく感じがするもの。
息を吹きかけると、なかなか跡が消えないもの。
瓜を軽くこすりつけて、適度に跡が残るもの。
紙の使い分け。
和画仙紙は厚みがあり、にじみが少なく墨を持つ色が、そのまま現われる。
薄い中国画仙を使うと、紙の中に墨が浸透するけれども、浸透具合によって、墨色が美しくもなり、死にもする。
漉いてから数年たった紙は墨色も冴え、墨が紙になじみやすい。(『株式会社呉竹』参照)
……とても奥深い世界ですね。
ちなみに、実用書賞状揮毫技能士を養成する『日本実用書道協会』サイトに、文房四宝の手入れ方法が載っています。
硯は使用後、水でよく洗う。
時々、硯用の砥石をかけて、鋒鋩を立てることも必要。
大筆は、鋒先を親指と人差し指で丁寧にもみほぐし、水に浸して洗う。
筆の穂先が墨で堅く固まらないように注意。
よく水を切り、ひもにかけて日陰で乾燥させる。
小筆は小皿に水を5、6滴入れ、筆を湿らせて半紙などで水分を取る。日陰で乾燥。
墨は、擦り終わったら、すぐに半紙で墨の水分をふき取ること。
紙は、直射日光や湿気を避け、乾燥した風通しの良い冷暗所に保存する。
……よく考えると、三十数年前、小学校の習字の時間に、こういうことを、きちんと教わった記憶がないです。
すぐに毛が抜ける安物の筆。
粗悪な紙(半紙どころか新聞紙だったことも)。
質の悪い墨。
つるつるした表面の墨を磨りにくい低品質な硯。
質の高い硯と墨なら、手の重みで磨るだけで、濃い墨が簡単にできるのに……。
教師に「早く」と急きたてられ、大根おろしを摩るような乱暴な磨り方でできた粒子の粗い墨。
それで、にじみやすい粗悪な紙に字を書く。
「また手本通りに書けなかったわね」と、にらむ教師。
朱で染まった自分の「作品」と屈辱感……。
「字のきれいさより文の中身やろが!」と公言する書道大嫌い人間が、こうしてできあがってしまったのです。
正式な墨の磨り方は、硯面に水を数滴たらし、墨を軽く握り、手の重みだけで墨で硯に「の」の字を書くようにゆっくりと磨る。
濃くなれば海(墨が入るくぼみ)におろし、再び水をたらし、香りを楽しみつつ悠然と磨る。
できる限り濃く磨り、最後に使う濃さに薄める……。
いいなあ。茶道や華道に通じる静謐な世界。
書は、書く人の上手下手だけでなく、紙、硯、墨、筆の質が仕上がりに影響する。
字の形や美しさだけでなく、時を経て「枯れていく」紙や墨色を観賞する、玄妙で懐深い世界。
子供時代に、粗悪な書道用具と、ただ手本通りに書くことだけを強要し、「書の楽しさ」を教えられない教師に出会った不運、本当に悔やまれます。
ところで、最初に話は戻って、矢立のこと。
「墨壷に筆を入れる筒がついたもの」……でも、問題は手入れ。
筆を使った後、洗ったり、乾燥したりするのは面倒じゃないかしらん?
実は、現在の根元まで墨を含ませる筆(水筆・無心筆)が主流になったのは、明治以降のこと。
江戸時代の芭蕉が使っていたのは、筆の根元部分に紙を巻いて作る巻筆(紙巻筆・巻心筆)。
なるほど。これなら手入れが簡単です。
万年筆やサインペンやボールペンに押され、姿を消したと思われる「矢立」ですが。
違う形で現代に生き残りました。
明治35年創業、奈良の墨メーカーの呉竹(すみません。ずっと筆記具メーカーだと思っていました)が、万年筆をヒントに1973年発売した「くれ竹筆ぺん」。
我が家でも、冠婚葬祭の熨斗紙を書く時に欠かせない存在。
今も変わらず「筆で書く字は日本人の心を表わすもの」なのですね。
ラベル:筆
筆ぺんが矢立の末裔というのはロマンチックですね。ぼくはカートリッジ交換式筆ペン使っています。まずまず使いやすいのですが、まだ短い付き合いですので本当のところはわかりません。そのうちいきなり壊れるかも・・・・そういえばこいつも百円ショップ産ですよ。