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2009年10月17日

『「空気」と「世間」』 

久しぶりに甥が戻ってきた。

大学が遠いので下宿生活をしているが……

変だな。
前より、やつれたようだ。
妹から「テニス部に入って大学生活を楽しんでる」と聞いてたのに。

「なんか、元気なさそうやんか。勉強うまくいってへんのか?」
「そうでもないけど。クラスとかサークルとか、空気読むのがしんどいんやわ」
「空気読むのって、じゃまくさいわな。無駄にエネルギー食うし」
「そりゃ、由花姉(ユカネエ)は、作家やから、空気なんか読まんでいいやろけど」

ぶっきらぼうな口調の甥。
確かに、今の私は「物書きは変わってて当然」ということで、多少非常識でも大目に見てもらえるが。

昔、主婦の世界にいた時は、そうじゃなかった。

「空気を読め」「うまく立ち回らないと」「嘘も方便」「考えるだけ無駄」

そう私を叱る子育て主婦の友人たちは……私と違って「空気を読める」のに、幸せそうには見えなかった。

結局、私が義母の介護に関わったために、子育て主婦友達と疎遠になり、今は「空気を読め」と強制されることはない。

あの「空気を読め」の「空気」とは何だったんだろうか?

演出家の著者によると、かつて存在した「世間」、同じ価値観を持つ仲間で作る共同体が、情報化やグローバル化で崩壊。
代わって登場したのが「空気」。

その場の「空気」に合わせてふるまえば、仲間と連帯できて、とりあえず安心。
しかし、固定メンバーの「空気」は、「こうふるまわなければいけない」との無言の圧力を生み出し、参加者をむしばんでいく。

甥には、「時間があれば、ネットで、自分の好きなことや、同じ物を好きな人と交流したらええねん。学校しか居場所がないのは、あかん。しんどかったら「オカンが帰れって、うるさいねん」とか理由つけて、いつでも戻ってきて、息抜きしたらええねん」とアドバイスしておいたが。

今は若い人ほど「空気」の圧力が強くかかるから、心配だ。

『「空気」と「世間」』 鴻上尚史 著 講談社現代新書
ラベル:空気
posted by ゆか at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本読みコラム | 更新情報をチェックする
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