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2009年12月01日

渋高卒業25年周年記念同窓会

『大赤字です』……

 

開催1ヶ月前、幹事代行業者から届いたメール。
幹事会は大騒ぎ。

私たちは、担当者から「30人で開催可能」と聞いていたので、「40人いるし」と安心していましたが。
代行業者は過去の「出席者数比率」から割り出した数字「120人宴会室」を、ホテルに確保していて、すでにキャンセル不可の状態。

同窓会プロジェクトの途中で担当者が変わり、連絡がうまくいかなくて、こんな結果に。

結局、本来はコース付属の「司会者や受付の派遣」「記念品と恩師贈呈用花束」を断念。
幹事が司会や受付をして、代行業者は当日の記念写真CDの売上で損を埋めることで決着。

「40人やったら「手作り同窓会」できるやんか。宴会が正味2時間やったら、余興はいらんわ。全員にマイク回して一言ずつしゃべったら、それで間はもてる。なんとかなるわ」

大阪府立東淀川高校3期生同窓会副幹事、幹事歴25年の母のアドバイスで、私たちは気を取り直し、同窓会の準備をはじめました。

ホテルが持込料をタダにしてくれたので、花や記念品を幹事が準備。
恩師花束と記念のケーキは、フラワーアレンジメント講師で、お菓子づくりが得意な主婦の幹事が格安で作成。

彼女のご主人、渋高昭和61年卒のIT技術者が、『大阪府立渋谷高等学校』サイトから、校歌をダウンロードしてCD化。
卒業アルバムから顔写真を取り込んで、出席者個人別に名札と名刺も作ってくれました。

……ひょっとして、最初から自力でやればよかったかな。
でも、連絡先が空白だらけの卒業生名簿から、自力で、これだけの人を集められたかなあ。

さて、同窓会当日。
新型インフルエンザ流行で、前日までにキャンセルが4人。
あと何人キャンセルが出るんだろう。

私を含めた女子4人は、ホテルの宴会場前に作られた受付で、そわそわしながら恩師と同級生の到着を待ちます。

受付テーブルには名簿、お金を入れる容器。
顔写真入りの名札。
住所を書いて交換するための写真入り名刺。
校歌の歌詞カード。

エレベーターのドアが開くと、ぽつりぽつりと出席者が降りてきますが、「○組の△△君だ」と思わず声をあげるほど、それぞれ高校卒業当時の面影が顔に残っています。

思い思いに着飾った女性たち。
大阪出張で埼玉から来た男性。
朝の飛行機で宮崎から来た私の友達。
全員が「今日は一日楽しむぞ!」の気合い十分。

受付で私が楽しみにしていたことが二つ。
まず、25年ぶりの図書委員の友達との再会。

黒のスーツ姿の彼女がやってきました。
「○○さん、お久しぶり」と私が声をかけると、彼女も「いやあ。久しぶり。全然変わってないやんか」と応じます。
顔も声も、性格も変わってない……25年の時間が一瞬で消えた感じ。
これから、また仲良くできそう。

あと、気になるのは、今回が初対面になる元バレー部で居合3段の男性。

昭和59年卒業生は、12クラスで500人以上。
彼と同じクラスになったことはありません。
私は図書委員で図書室に入り浸ってましたし、彼はバレー部で体育館が拠点で……おそらく、この同窓会を開かなければ出会うことがなかったでしょう。

バレー部OB会幹事として参加者集めに奔走してくれた人。
メールの文から推測すると、私より頭が切れる。
それに合気道初段としては、「居合3段」というところも気になる。

背広姿の彼らしき人が受付に現れました。
笑顔で「このたびはご苦労様です」と挨拶して会費を払いましたが、テーブルの上の名札に目をやった途端、表情がこわばりました。

「いや、あの、これは、この時、だけ短かっただけで、いつもは、もっと髪が長いんです」

意味不明な言い訳をしながら、テーブルから自分の名札をすばやく取り、あたふたと仲間のバレー部員のところに去っていきました。

……予想外のリアクションだ。でも、他のバレー部の男性も似たような反応してたな……。

よく考えると、当時の男子バレー部には「試合に負けると髪を切る」の伝統がありました。
そして、卒業写真のバレー部男子は全員短髪。

……卒業写真と試合に負けた記憶がセットになってたのか。気の毒だったなあ。

女性の出席者の中にも、卒業写真入り名札を見て、うろたえた人がいました。
当時大流行の「聖子ちゃんカット(松田聖子の髪型)」で写っている人たち。
でも、「きゃー! やめて!」と叫びながら顔が笑ってるのは、みんな、卒業当時よりも今の方が美人だから。

「夫婦で出席の予定やったけど、ヨメさんが風邪で出られなくなったから」と、わざわざ2人分の会費を払ってくれた地学部の男性。
飛び入り参加してくださった化学の先生など、皆さんのお心遣いで、当日キャンセルの赤字は出ませんでした。やれやれ。

さて、午後1時。
定刻通り、「大阪府立渋谷高校昭和59年卒同窓会」がスタート。

まず、金沢から駆けつけた幹事長の開会挨拶。
そして、25年間に亡くなった7人の同級生のために、全員で黙祷。

恩師代表挨拶は教頭先生。
出席者35名中、5名もの先生方にご出席いただけたのは、本当にありがたいです。

乾杯の後は歓談と食事。
さすがに一流ホテル。料理がおいしい。
「話題に困らないように」と各テーブルに置いた卒業アルバム。
それをながめて笑い合うグループもありました。

ところが、宴会の途中で、朝に飲んだ風邪薬の効き目が切れて、頭痛が再発。
薬を追加しようと廊下に出た私は、そこで居合3段の彼と、ばったり出会ってしまいました。

とりあえず名刺交換。
彼は通関士。やっぱり私より賢いか。

そのまま「居合の二の太刀の間合いと速さについて」の専門的な話で盛り上がり……。

「こらっ! お前ら、同窓会の最中に何やっとんじゃ!」と思われた方もおられるでしょうが。
武道の有段者同士が出会うと、ありがちなことなのです。

しばらく話がはずんだ後、「次回は市の武道館にてお目にかかりましょう」と約束。
……面白い展開になってきたぞ。

薬を飲んで会場に戻ってくると、同窓会は後半部にさしかかり、恩師スピーチの最中。
先生方も、思い思いに第二の人生を楽しんでおられるご様子で、安心しました。

恩師スピーチの後は、出席者が順番に一言ずつスピーチ。
専門職についたり、役職者になったり、堅実な家庭を営んでいたり。
みんな、それぞれに頑張っているようです。

後半の司会は写真部の男性。
夜勤明けの最悪の体調にもかかわらず、同級生のスピーチに巧みな合いの手を入れ、同窓会を盛り上げます。

一通りスピーチが終わると校歌斉唱。

受付で歌詞カードをもらって、「25年も歌ってへんから、おぼえてへんで」と不安げだった野球部の男性も、いざメロディーが流れると、ちゃんと歌えるのが、校歌の不思議なところ。

クライマックスは恩師への花束と記念品贈呈。
司会者が、その場で出席者の女性を5人指名。
突然指名された女性たちは、少し緊張しながらも、にこやかに、5人の恩師に花束と記念品を贈呈。

ますます盛り上がる同窓会は集合写真に突入。

そして、閉会の挨拶は副幹事の税理士。
最後の一本締めは会計事務所取締役の男性。

緑友会会計の二人は、すかさず全員にチラシを配り、「次回は、来年6月27日の箕面観光ホテル。緑友会(大阪府立渋谷高校全体の同窓会)に専用テーブルとってます」と宣伝。

その席で「また学年の同窓会を」の話が出るかもしれないけど。
名簿は最新の状態で、連絡網もできたから、次の幹事は私たちより楽でしょうね。

「緑友会で会いましょう」を合言葉に全員笑顔の閉会。
記念写真CDの注文が殺到し、代行業者も赤字が埋められて大喜び。

……なんとか無事に同窓会を終えることができました。
出席者の喜ぶ顔を見ると、準備の苦労は吹き飛びますね。
来年の緑友会、楽しみです。
タグ:同窓会
posted by ゆか at 16:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
楽しかった同窓会でしたが、始まる2週間ぐらい前からは、胃が痛い思いもしょっちゅうでしたね(笑)
本当に開催できるのかとか、参加者はこれ以上集まらないのかとか…終わってしまえば何とも無い事とかも。
私は、同窓会が終わった後ホッとしたあまり脱力して、2次会の席では殆どぼーっとしてました。
3次会の席上でようやく、「やってよ良かった」って思えてきて…。

奇遇でしたが、同窓会の日が誕生日でした。
大勢で過ごす誕生日、別に自分のお祝い会でも無いのに無性に嬉しかったです。
まぁ、はしゃぎすぎて、次の日は一日ぼーっとして、月曜日からは現実についていけず、仕事場で戸惑ってましたけど。
結構そう言う人が、他にも居たようでそれもまた、嬉しい要因でした。

来年の緑友会に、今回参加してくれた同級生が、また集ってくれるのが今から楽しみです。
Posted by ゆん at 2009年12月05日 13:33
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