出稽古に来ていた私の質問に、先生は即答しました。
「投げられた時の爽快感でしょうね」
「爽快……ですか……」
「上手く投げられると、気分爽快になりませんか?」
「えっ?」
私の所属道場とは違って、この道場の稽古は、最後に「相手とお互いに自由技で20回ずつ、好きなように投げ合う」というのがありますが……。
軟弱な私は、10回ほどで息があがってしまい、「もう勘弁してください」と言うのに。
先生は、「まだまだぁ!」と笑いながら投げ続けたりします。
不思議なことに、気がついたら、ちゃんと20回できているんですね。
……でも、「気分爽快」には程遠いなあ。
普段の稽古の時でも、低い位置からの受け身に失敗して背中を打ったり、力任せに上から叩きつけられて、後頭部を打ったり。
受け身そのものが、うまくいった時も「今の位置じゃ、相手に追撃されたら、ひとたまりもない」、「もっと高く飛び上がれば、受け身を取り終わって、すぐに相手の方に向き直って、スムーズに次の技に移れたのに」と反省ばかり。
……自分の納得いく受け身は取れたことがないのです。
「すみません。今まで、投げられて、気分爽快になったことがありません」
正直に答えると、先生は、にこにこしながら言われました。
「稽古が足りませんねえ」
「……はい」
まあ、確かに稽古不足なのは身にしみていますけど。
それにしてもわからんなあ。
「投げ飛ばされて腰を打った」という話は、よく聞くし。
テレビの柔道の試合を見ていても、投げられた相手は、とてもじゃないけど「気持よさそう」には見えないや。
その一方で、「投げられて気持いい」というような話も、聞いたことがあります。
大東流合気武術について書かれた『合気開眼』にも『孤塁の名人』にも「佐川総範に投げられると、気がついた時には自分の体が宙を舞っていて、壁に激突しても、床に叩きつけられても、まったく痛くない」というようなことが書かれています。
私も一度、夫婦喧嘩の時に、大東流合気柔術の「合気投げ」に完敗していますが。
夫に投げられた瞬間の記憶が空白で、気がついた時には床に尻もちをついていた……そんな感じでした。
「不覚をとってしまった」という思いで頭が一杯で。
よく思い出すと、痛くはなかったような気がする。
でも、「気分爽快」じゃなかったな。
さらに不思議な話は、武道雑誌『月刊秘伝』2010年1月号にも。
『シリーズ開祖の横顔・植芝盛平翁直弟子に訊く』で、湘南A.K.I(合気道研究会インターナショナル)の武田義信8段が語っておられるのは、開祖の受け身を取られた時のこと。
『先輩に投げられている時は「投げられている、飛んでいる」という感じがあるんですけど、それがなくて、空間移動しているだけのようで』
……うーむ。これも不思議な話だなあ。
とりあえず、私が今、一番気になる疑問。
有り得なさそうで実在するらしい「投げられて気分爽快」。
これについて考えてみましょう。
……次回に続く……
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