母は突然、私にメモと鉛筆を渡しました。
「電車の切符代とか、居酒屋で打ち合わせして、割りカンで払ったとか、レシートのない支払いは、出金伝票を書いておかないと、経費に落せない」という、青色申告の話題でしたが……。
言われるままに「1」から「10」までメモに数字を書いて、母に渡すと……。
メモを見た母の顔色が変わりました。
「あほっ! なんやねん。この汚い字は」
「すみません」
「ちょっと、鉛筆持ってみ」
母の剣幕におびえつつ、いつものように、鉛筆を持って見せましたが……。
「なんや、その持ち方は。あんたが小さい頃、そんな持ち方、教えた覚えないでっ!」
知らない間に、持ち方に癖がついていたようです。
「あんたは昔、もっと、しっかりした字を書く子やった。それが、ええ年になって、こんなに汚い字で、どないするねん! そんな子に育てた覚えないで!」
ひたすら謝り倒す私。
そうです。おっしゃる通りです。
思い起こせば、ある時期を境に、私は字が下手になったのです。
それは小学校4年。ペン習字の授業が始まった時。
それまでは、鉛筆書きか毛筆でした。
鉛筆は、筆圧の強弱があまり関係のない筆記具。
毛筆は、小筆が苦手だったけれども、普通の筆で字を書くのは、そんなに嫌いじゃなかったのです。
ところが、墨汁にペンをつけるペン習字の授業が始まると、力の加減がわからず、ペン先を割ってしまったり、紙に穴を空けたりして、先生に叱られてばかり。
自信をなくした私は、それを境に、どんどん字が下手になるのです。
社会人になってからは、ボールペンが主流なのに……。
あの当時、実生活では、お目にかからない「つけペン」の習字が、なぜ、授業として存在したのか、わかりません。
私にとっては「害」にしかならないものでした。
しかし、……なんとかしたいよなあ。自分の字。
さらに、私を追いつめたのは年賀状でした。
きれいな字で書かれた葉書が届くたびに、「しまった。汚い字で年賀状送ってしまった。失礼だったかも」と後悔ばかり。
この数年、「本気で字を直さんと」とは思っていたのですが、忙しくて、なかなか自力で自分の字を直すことができません。
と、そこに舞い込んだのが新聞広告。
日本書道協会『実用ボールペン字講座』。
「まず住所と名前を、きれいに書けるよう添削指導します」
「1日20分。ひらがな・カタカナ・数字からはじめて、半年で、挨拶状、ビジネス文書まで、指導します」
……うーむ。魅力的な話だ。
しかし……たぶん、半年以内に引越しがあるだろうしなあ。
「今なら、お申し込み特典として、日本書道協会オリジナルのペン、キュービックジルコニアのついた、上品なパールシルバーのボールペンと万年筆を、お申込者全員に無料でプレゼント」
……うわっ! 万年筆ついてるのか。
申し込むの、やめよう。
あの万年筆のペン先は、どうしても「ペン習字の悪夢」を思い出させるのです。
結局、申し込みを見送ったわけですが。
ところが、翌週、またしても、同じ広告が入ってる。
チラシの内容は同じですが……よく見ると「最長2年まで無料で添削指導します」とある。
ということは、引っ越して、生活が落ち着いてから、通信教育を再開すればいいんですね。
万年筆は、私の筆圧だと壊しかねないけど。
まあ、付録で強制的についてくるから仕方ない。
万年筆には気の毒だけど、壊れてもらうことにして、通信講座を申し込みました。
1週間ほどして、教材セットが到着。
わかりやすいテキスト集の束に混じって、紺色の紙箱が出てきました。
中には、上品なパールシルバーの軸、ペンクリップの部分に、キュービックジルコニアがついた、おそろいのデザインのボールペンと万年筆。
ボールペンはキャップを右に回すとペン先が出てくるタイプ。
『替え芯は市販のクロス社のものをご使用ください』と、説明書にあるということは、このボールペンの正体は、クロスのボールペンか。
試し書きしてみましたが。
金属の軸が重く、インクも粘りが強いのか、もったりした書き味。
手帳用のパイロット「Cavalier」や、事務用の三菱鉛筆「ジェットストリーム」の軽い書き味に慣れているせいか、違和感がありましたね。
さて、問題の万年筆。
説明書の指示通り、インクカートリッジを万年筆に取りつけて、ペン先にインクが回るまで、半日ほど放置。
「ペン先が書けなくなったら、水につけて、乾いたインクを溶かさんとあかんよ」という注意書きもついています。
ほんまに手のかかる筆記具やなあ。
『替えインクは市販のモンブラン社のものをご使用ください』とあるから、この万年筆の正体は、モンブラン?
で、試し書き。
かなり力を入れても、ペン先はびくともしません。
でも、万年筆本体の重さと、水性ボールペンに似た、ゴリゴリとした書き味は苦手。
まあ、今の私の筆圧が高いから、そう感じるのかもしれませんが。
通信講座は「ペンの正しい持ち方から指導」と断言していますから、これから、自分の癖も変わるかもしれません。
とりあえず、書きなれた「ジェットストリーム」で、自分の癖字に挑みます。
ラベル:万年筆