「は?」
唐突な主治医の言葉に、私は驚きました。
夜の合気道の稽古を控えるようになってから、喘息発作の回数が減ってきたのに。
「……ガンなんですか?」
動揺した私の質問に、主治医は笑いながら答えました。
「いえいえ、肺ガンと決まったわけじゃないですよ。「呼吸音の中に雑音が混じってますから、気になるので検査しましょう」というだけの話です。……どちらかといえば、私は気胸や肺水腫の方を疑っていますがね」
「肺ガンも嫌ですけど、肺に穴が開いてるとか、水がたまってるっていうのも嫌ですね」
「まあ、それを調べる検査ですから」
主治医はパソコンにデータを打ち込み、予約票を作って私にくれました。
私は、今まで「息苦しいのは喘息のせい」と思い込んできましたが。
息が苦しくなる病気はたくさんあって……結核、気胸、肺水腫、肺炎や気管支炎、中でも肺ガンは「自覚症状が出たら手遅れ」と言われている怖い病気。
家に帰ると、部屋の真ん中に座り込んで大きく溜息をつきました。
……肺ガンごとき、くだらん死にざまのために、この年まで生きながらえたわけやない……
部屋の隅の小さなタンスに目をやりました。
引き出しの奥には、致死量……急性心不全を引き起こせるだけの気管支拡張剤が眠っています。
見かけは健康そのものなのに、先天的に欠けた部分が多い私の体。
特に喘息には、子供の頃から何度も命を脅かされ、「二十歳までもたないだろう」と医者の宣告を受けていました。
「何も手に入らない人生なら、せめて最後だけは、自分の納得のいく死にざまで終えたい」
……子供の頃から、それだけを願い続けて、不惑を過ぎても、なお生きながらえている私ですが。
その願いは今も変わらない。
喘息死も嫌だけど、肺ガン、結核も、死にざまとして納得いかないな。
「気胸? 肺水腫?……どっちかというと、最近、お前、調子ええんちゃうんか」
夫は不審そうです。
「昔みたいに、何時間も咳して、ジタバタしとらんし。「しんどい」言うて起きて、薬飲んで、しばらくしたら寝とるし。最近は、俺がツボ押さんでも、いけてること多いやんか」
夫は空手四段剣道三段少林寺拳法三段大東流合気柔術二段柔道初段。
「気功でツボを刺激して気道を広げる」。
少林寺拳法の技術の応用ですが、これに何度命を助けられたことか。
「そやけど、ツボ押した時のお前の反応見てると、左肺、よく炎症起こしとるみたいやから、これを機会に、ちゃんと診てもらえ」
「わかった」
検査結果によっては、即入院かもしれないから、とりあえず、出稽古先の先生にご挨拶。
「気胸? 肺水腫? ははは。そんなわけないでしょう」
先生は大笑い。
「第一、肺に穴が開いていたら、合気道の稽古、特に投げ合いなんかできないですよ」
……うーむ。そう言われてみればそうかもしれない。
「「呼吸量が7割で、よくそれだけ動けるな」と、いつも感心してるぐらいですよ」
確かに、最近、自分でも動けている方だとは思うのですが。
出稽古恒例の「自由技による投げ合い20本」の時は、さすがにできませんが。
喘息を軽くする丹田呼吸法の最初のステップ、「一技一呼吸(一つの技の最中、細く長く吐き続ける)」の稽古が、大体できてきているので、そろそろ次のステップに移りたいなあ……と思っていたし。
「ご自分で思われてるより、喘息は軽いんじゃないかな……と、正直、僕は見てますが」
にこにこしながら、とんでもないことを言う先生。
そりゃ、昔よりは発作の程度は軽くなっていますけど。
私だって、喘息発作が出ないように、日常生活で大変な努力をしてるんです。
2週間後、呼吸機能検査が行われました。最近の検査機器では、「息を吸って吐く」だけで、大体の呼吸器疾患がわかるらしい。
「思いっきり息を一気に出す」検査では、途中で咳き込んで女性検査技師をあわてさせましたが、「できるだけ息を吸い込み、ゆっくりと吸った息を全部出す検査は、合気道の「一技一呼吸」の腹式呼吸で、うまくいきました。
「結論から言うと、喘息以外の異常は見受けられませんでした。呼吸の数値も、中等症(発作止めがないと日常生活できないランク)の人としては、いい数字です」
検査結果票に目を落としながら、主治医は言いました。
「ピークフローは7割ですが、総呼吸量は8割ですか。病歴の長い患者さんにしては、いい成績ですね」
「えっ、呼吸量が8割?」
ピークフローは、「瞬間的に息を吐き出せる呼吸量」のことで、自宅で簡易型の機器を使って、朝夕測定して「喘息日記」に記入することを義務づけられていますが。
調子がいい時でも悪い時でも、成人女性の7割の数値なので、「どうせ、こんなもんなんだろうな」と思っていたのです。
だから、「息をゆっくりと吐き出す総呼吸量」の数値が上がっているなんて、思いもしませんでした。
「そうです。数字は上がってますね。ただし……100%には、絶対になりません」
主治医は、私の肺のレントゲンの写真を見せました。
「健康体の肺は、扇型で左右対称なんですが。あなたの場合、左肺は扇型じゃないんです。一部が欠けてしまってる」
確かに、右肺は、きれいな扇型ですが、左肺は扇型の下の先端にあたる部分がない。
「子供の頃からの喘息で、左肺が変形してるんです。変形部分は、炎症が起こりやすいので注意が必要ですが、今のところ、それほど炎症が出てないようですね」
なるほど。夫の指摘は当たってるんだなあ。
「まあ、呼吸量が5割とか、3割は困るけど。8割なら自分でもいい方だと思います」
「なんだかよくわからないけど、とりあえず、元気だからいいんじゃないですか。あなたは、私の担当の患者さんの中では、一番自己コントロール能力が高くて、手のかからない方ですから、私も安心です。何かあったら、すぐに処置しますから」
主治医に明るく励まされ、私も少し元気が出ました。
検査の結果もよかったことだし……。
では、丹田呼吸法の最初のステップ「一技一呼吸」の、次の段階について調べてみましょうか。
……次回に続く……
【関連する記事】
- 立つと歩く(後編)肚と胸郭
- 立つと歩く(前編) 帯と袴
- 黒田鉄山先生(武道系コラム・特別編)
- 令和5年の日本古武道演武大会(後編)続ける覚悟
- 令和5年の日本古武道演武大会(中編)遠い間合い
- 令和5年の日本古武道演武大会(前編)逡巡
- 武蔵の剣(後編)攻めの剣・守りの剣
- 武蔵の剣(前編)明鏡止水
- 令和4年の日本古武道演武大会(後編)一長一短
- 令和4年の日本古武道演武大会(中編)拍手
- 令和4年の日本古武道演武大会(前編)静寂
- 日本古武道演武大会の進化(特別編)前代未聞
- 異変(後編)忍び寄る影
- 異変(前編)凶兆
- 明鏡止水(後編)理合
- 明鏡止水(前編)起こり
- 続・袴考(後編) 進化
- 続・袴考(前編) 伝承
- 武道とリハビリ(後編)筋力
- 武道とリハビリ(前編)変化
実は、私は毎年3月〜6月位の間は咳がよくでます。花粉症の一つの症状かと思っていたが、検査してみようかと思います。
私は腰痛持ちですが、咳のことも含めて日常生活の努力が足りなかったとを反省させられました。