出稽古先の先生の唐突な申し出に、私はとまどいました。
この道場では、最近子供の会員が増えています。
しかも、「子供」というより「幼児」に近い年齢の子供たちが。
普通、合気道の少年部は「小学生以上対象」になっています。
でも、「もっと小さい頃から合気道を習わせたい」と考える親御さんも、意外に多いのです。
この日の少年部の稽古も、幼稚園児が5人ばかりいて、「合気道の少年部」というより「保育園状態」。
この年齢の子供は落ち着きがないので、横一列に並べて正座させるだけでも一苦労。
先生は、たった一人で、「はい。みんな並んで正座してね」と、繰り返し子供たちに言い聞かせ、なんとか全員を正座させていましたが。
本当に大変そうでした。
子育て経験のない私に、そんな忍耐力があるかどうか。
しかも、やることは「子供の遊び相手」じゃなくて、「合気道の指導」だし。
「所属道場では、少年部は、三段以上の有段者が指導するのが通例です。まだ初段で、技が曖昧な私が、子供を教えるなんて、とても無理ですよ」
私が断ろうとすると、先生から予想外の言葉が返ってきました。
「あ、大丈夫です。指導なんか、しなくてもいいですよ」
「は?」
先生は、にこにこしました。
「小学生以下の子供は、まだ、体がしっかりできていませんから。そんな年齢の子供に、飛び受け身(宙返りのような受け身)や、入り身投げなんかさせたら、逆に大ケガをしてしまいます。子供には、それぞれの年齢に応じた稽古の仕方があるんです」
先生は大阪に来る前、所属団体の本部道場で、少年部の指導をされていたことは知っています。
指導者はベテランでも、アシスタントが、私のような素人で大丈夫かな。
「僕のところは人手不足ですからね。段位に関わりなく、やる気と能力のある人には、手伝ってもらいたいんです。……島村さんになら、きっとできると思う」
真剣な表情の先生。
……うーん。困ったなあ。
と、その時、先生の所属団体の本部道場長の言葉を思い出しました。
「今の子供の感性は、ものすごく鋭いです。子供の独特な合気道観には、時々驚くことがあります。あなたも、機会があれば、ぜひ、子供の指導をされるといい」(『桜木』参照)
所属道場には高段者がたくさんいますから、初段の私が子供を教える機会はないと思っていましたが。
……もしかしたら、これはチャンスなのかも。
「お役にたてるかどうか、わかりませんけども」
結局、少年部の指導アシスタントを引き受けることにしました。
家に帰って、この話を夫にすると……。
「あほ! お前に少年部の指導なんか、できるわけないやないか! 断わってこいっ! 子供に武道教えるのんは、大人の初心者に武道教えるのんと、わけが違うんやぞ。先方のご迷惑になったら、どないするねん」
夫の剣幕にとまどいながら、私は答えました。
「そのへんは、大丈夫みたい。「とりあえず、子供が転んだり、壁にぶつかったりして、ケガをしないように、見張っててください」って言われてる」
「なんや、それは」
空手四段剣道三段少林寺拳法三段大東流合気柔術二段柔道初段。
空手と剣道の指導員だった夫は呆れ顔。
「今、少年部にいるのは、ほとんどが幼稚園児やねん。そやから、技を教えるには、ちょっと早いらしい」
「まあ、その年の子供、ヤワやからなあ。下手に関節技かけたら、関節変形してまうわな。……いうことは、どう稽古するつもりなんやろか」
「ようわからんけど、「年齢に合った稽古がある」言うてはったよ」
夫は、しばらく黙っていましたが、やがて低い声で言いました。
「……そやけど。人嫌いで、子供のいてないお前に、幼稚園児扱えるんか?」
「昔、体壊して家にいた時、妹に頼まれて、甥っ子を保育園に送り迎えしてたから。……ケガしない程度に見守るぐらいなら、たぶん、なんとかなるんじゃないかと思う」
「しゃあないなあ。……俺は、大人の初心者ばっかり教えとって、あんまり子供教えたことないんやけど。子供教えんのは難しいで。子供は体も心もヤワやからなあ。大人を教えるのんより、気ぃ使わんとあかん」
夫は、まっすぐに私の顔を見ました。
「まず、子供叱ったらあかん。いきなり辞めてしまいよるからな。妙な動きしても、大目に見る。繰り返し、辛抱強く言い聞かせる。できたら、きちんとほめる。あと、意外に子供は重たいから、力加減には、十分気をつけんとあかん」
「うん。わかった」
「お前、気楽に言うとるけど。結構忍耐力いるんやで。……俺、心配やわ」
不安そうな顔で念を押す夫。
「先生の言うことを、よう聞いて、くれぐれも、ご迷惑をかけんようにするんやで」
……そこまで言われると、なんだか私も不安になってきました。
でも、所属道場ではできない経験になりそうなので、がんばってみましょう。
……次回に続く……
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