先生は苦笑しました。
「三十一型(31の杖)」……31の杖の動きが一組になった合気道の杖の型の一つ。
もう一つ「十三型(13の杖)」という杖の型があります。
この二つの型は、合気道の開祖・植芝盛平翁が編み出された杖(棒状の武器)の型を、武器技の達人で、開祖の高弟の故斉藤守弘師範がまとめられたもの。
私は、十三型は一通りできる……つもりが、最近、なんとなく動きが曖昧になってきてしまっていて、反省しているところ。
「ちょっと、簡単な杖の素振りをやってみましょうか」
先生と私は杖を持って構えました。
杖は白樫製。長さは127センチ、直径は2.4センチ。
見かけは「単なる長い棒」ですが。
打つ、突く、払う、など、さまざまな動きのできる、恐ろしい武器。
「まず、杖の構えから。杖を大きく振り上げ、前の敵の胴を打ち、左に反転しながら杖を持ち替えて、振り上げ、後ろの敵の面を打つ」
……説明を聞くと簡単のような気がするけれども。
実際にやってみると、うまくいかない。
どのタイミングで杖の持ち替えるのかがわからず、そこで手間取るからでした。
三十一型どころか、「簡単」なはずの素振りさえ、ままならないとは。
……ああ、情けない。
何度か稽古を繰り返しているうちに、なんとか、素振りらしくはなってきましたが。
次回稽古する頃には忘れているかもしれない。
……ダメだなあ。私。
素振りができないうちは、三十一型を覚えるのは無理みたいだ。
そういえば……。
「13より、31の方が素振りっぽい動きやな」
……私と一緒に、斉藤師範のDVDを見た武道13段の夫は、そんなことを言っていました。
「13の杖は、一つ一つの動きが難しい。31の杖の方が、型の数は多いけれども、一つ一つの動きは単純です」
……英信流居合いの使い手で、十三型と三十一型の両方ができる二段の若者は、かつて、そんなことを言っていましたが。
しまった。
十三型より先に、三十一型を覚えるべきだった。
素振りをやらないうちに型を覚えてしまったので、細部が曖昧になってしまったのです。
ちなみに、稽古した杖の素振りは、斎藤師範が書かれた『合気道 剣・杖・体術の理合 第一巻』の中に出てくる『左流れ返し打ち』らしい。
『左に回る体捌きの稽古法である』と解説にあります。
一通り、杖の素振りの稽古が終わって、先生は言いました。
「武器技を教えてくださる関西の先生方は、みんな「私のところではこうしている。ただし、これが絶対に正しいかは、わからない」と言われますね」
先生は溜息をつきました。
「剣と杖については、東京の合気会本部道場の先生方の間でも意見が分かれています。ある先生は「合気道は剣の理合いが基本なんだから、積極的に剣をやるべきだ」とおっしゃるし、別の先生は「剣や杖をやると剣と杖の動きに執着する。合気道は徒手の武道なのだから、剣や杖をやるべきではない」と、おっしゃる」
「でも、それだったら、なんで、合気道に「合気杖・合気剣」があるんですか? 斉藤師範の杖と剣のDVDを見たことがありますが。明らかに、杖道の動きとも剣道の動きとも違う。「合気杖・合気剣」は、合気道上達のために開祖が作られたものだと思います」
先生は、一瞬遠くを見るような表情をしました。
「武道は、時代が経つにつれて変わっていくものです。これから、剣はともかく、杖は、どの程度まで教えればいいものか……。横浜の本部では、剣の稽古は比較的やりますが。僕も関西に来るまで、七型の杖しか知りませんでしたし」
「杖の七型? それって、なんです?」
「七つの杖の型ですが。知りませんか?」
「杖の七型」……しまった。
また新たな謎が出てきてしまった。
私の所属道場では十三型が基本。
三十一型が全部できる人は、有段者の中でも数えるほどしかいません。
剣と同じで、杖も……「道場に大勢の人がいるので、振り回して当たると危ない」ので、めったに稽古することがないのです。
「杖は三段の昇段審査で、初めて出てくるから、急がなくてもいいだろう」という高段者もおられるぐらいですから。
「そのうち、「七型の杖」も教えてください。私は、自分が合気道の杖や剣の型に興味があるから、きちんと知っておきたいです」
「……わかりました。でも、型の前に、まずは素振り。これから、みっちりやりますよ」
先生は笑顔を見せました。
私は、合気道を学ぶ者として、自分が知りたいことは知っておきたい。
これからも、そのスタンスは変わりません。
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