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2010年10月09日

開祖の横顔(前編) 遠いお方

「やっぱり、合気道の開祖は偉い人やと思うで。剣術とか柔術とか、いろんな武道を学んで、「合気道」いう独自の武道を作り上げて、ここまで広めはった人やねんから」




空手四段剣道三段少林寺拳法三段大東流合気柔術二段柔道初段の夫は言いました。

「そやけど、お前、合気道の開祖のこと、あんまり知らんのとちゃう?」

そうだなあ。確かに、私は、開祖のことをあまり知りません。

開祖・植芝盛平翁が亡くなられて40年以上たち、合気会も、いずれ4代目の道主の時代に入るでしょう。

この武道系コラムを書くために、開祖のことを調べたりするけれども。

開祖の経歴について調べるのは簡単です。
でも「開祖は、どのような人だったのか?」の質問には、うまく答えられません。
合気道家にとって、開祖は「雲の上の人」ですから。

幸い、去年「開祖の人となり」を描いた珍しい本が出ました。

『開祖の横顔(月刊秘伝編集部編・BABジャパン)』。

これは、開祖の14人の直弟子、つまり、開祖から直接教えを受けた先生方が、開祖について語った貴重なインタビュー集。
武道雑誌『月刊秘伝』の人気連載『開祖の横顔』に多田宏師範の特別編を加えたもの。

開祖の教えを直接受けた先生方も、次々に亡くなられていますから、その意味でも貴重な資料と言えましょう。

佐々木の将人師範、菅沼守人師範、藤田昌武師範。
小林保雄師範、黒岩洋志雄師範、砂泊誠秀師範。
清水健二師範、加藤弘師範、渡辺信之師範。
奥村繁信師範、磯山博師範、田村信喜師範。
山田嘉光師範、多田宏師範。

……合気会本部から遠い関西在住、合気道歴8年ほどの初段の私が、お名前を存じ上げていなかった師範も中にはおられます。
勉強不足で本当に申し訳ない。

しかも、お名前を存じ上げていない先生方が、亡くなられた方も含めて、さらに私の存じ上げない方の名前を、たくさんあげられるので……

うーん。わからん。
有名な方ばかりなんでしょうが。
……ダメだなあ。私。

先生方が語られる初期の合気道の道場は、今のように「老若男女誰にでもできる・初心者歓迎」ではなく、入門するのは剣道や空手、柔道などの有段者ばかりで、しかも紹介者が必要。
少人数で結束が固く、稽古も「地獄道場」と呼ばれるような荒々しいものだったようです。

開祖のエピソードは楽しいものが多いです。

『大先生と電車に乗る時に、座らせると「年寄り扱いする」と怒るし、座らせないと怒る。一番機嫌が良いのは、混んでる電車で、目付きの悪い若いやつを立たせて座らせた時』(佐々木の将人師範)

『とにかく時間には厳しかったですね。演武会でも予定の時間の随分前から「まだ大丈夫か。間に合うか」と仰って』(菅沼守人師範)

『例えば、「今日は書をやる」なんて時は、硯とか大きな紙を用意して。大先生は大きな紙にグウッと書くのが好きでしたね。あと大先生は大福とかお餅が好きだったから「藤田君、お餅買って来てよ」なんて言われたり』(藤田昌武師範)

『私が師事した時の大先生は七十歳くらいでしたが、まだ体力が充分にあり、岩間でも米俵を平気で担いでいました』(小林保雄師範)

『一緒に出かけた時などは心配性でしたね。タクシーなんかに乗ると後ろの座席で「危ない!」って始終言うから運転手が怒り出しちゃって。やっぱり武道家は臆病なくらい用心深いんでしょうね』(黒岩洋志雄師範)

『その演武の翌日、お付きの千葉君(千葉和雄師範)と、姉と、私と開祖の四人で食事をしている時に「いい土産ができた」と言われたんです。それで「なにがでしょうか」と伺ったら「九州の技が一番良い」と言われたんですよ』(昭和36年九州・演武のテレビ放映翌日の話。砂泊誠秀師範)

『旅先で何度かお風呂にお供した時、決して長風呂をされないんです。入ったと思ったらそそくさと出てしまわれる。だから背中を流す暇が無いんですよ。風呂場はスキが出るところと昔から言われていますが、そういう備えのお気持ちがあったのでしょうね』(清水健二師範)

『すぐ怒るからね。だけどすぐニコニコされる』(加藤弘師範)

『一度、女の子と稽古している時に「お前は受身だけとれ! 女の子は大事にしなければいけない」と。一時間受身を取ってました』(渡辺信之師範)

『女の子を連れたお母さんが大先生に「この子は力がないのですが合気道はできますか?」と尋ねられると、大先生は「お箸が持てますか? お箸が持てれば合気道はできますよ」と仰っていましたよ』(奥村繁信師範)

『大先生の言葉で、よく覚えているのは、弟子の一人が「先生今日の入身投げと昨日の入身投げは違いますか」と尋ねた時に、「馬鹿者、合気道は日進月歩じゃ」と』(磯山博師範)

『朝稽古にスッと出てこられて、幾つかの技を見せて、またスッと帰って行かれる。それで気が向けば御話をして下さるのだが、当時は我々もまだ若いから“早く稽古が始まらないかなあ”と思うほうが多かった。(話の内容は)神様のお話でね。イザナギ・イザナミがどうとか』(田村信喜師範)

『当時はもう指導の中心は吉祥丸先生だから、「この時間は大先生が教える」というのは無かったね。ただ大先生は教えたくてしょうがないんだな。僕達が稽古をしていると用もないのに道場と母屋の間にある廊下を歩いてね。チラッと覗くんだよ。声をかけてほしいんだね』(山田嘉光師範)

……「神様」みたいなイメージの開祖にも、人間味というか、かわいらしいところがあるんですね。

しかし、最後の多田宏師範のお話では……

『昭和25年の合気座談会でされたお話に夢の話があった。「懸命に修行を行い、色々なところを掻き分けて出て行ったら、川があり流れてきた板に掴まって、対岸に渡り悦の境地に達した時に、後ろをひょいと見たら弟子が誰も付いて来てなかった」と』

開祖ご自身が、日々修行を重ねて進歩していく。
やっぱり、開祖はすごい人ですね。

さて、開祖から直に教えを受けた先生方は、今、それをどう伝えようとしているのでしょうか。

……次回へ続く……
ラベル:合気道
posted by ゆか at 10:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 武道系コラム | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ものすごく面白い本ですね!でも自分で読むよりこのブログのコラム読んでいる方が、私には理解出来るかも!?後編も超期待してます!!
Posted by k at 2010年10月09日 15:43
私も勉強不足で、ほとんど知らない方ばかりでした。
合気道のことを全く知らずに始めた頃、開祖の話を聞いて、合気道は古武道・古武術ではなのか、そうでないのか分からなくなります。大東流もそうですが。
私はずっと古くからあるものだと思っていました。
意外と歴史が浅いといいますか、そんなに古くから出来ていたのではないんですね。

もちろん、源流をたどれば新しいとはいえませんが。

これからの日本には武道の精神が必要になると思います。

そういった意味でも興味深く重要な内容であると思います。
Posted by コハント at 2010年10月09日 19:43
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