祖母が亡くなって19年になりました。祖母……ハンナ・オコンネル。日本名は山下花子。ニューヨーク出身。
アイルランド系アメリカ移民と日系人の間に生まれ、昭和初期に陸上選手として活躍。
しかし、ライバルに日本発の女性メダリストになった人見絹枝がいました。
人見絹枝はアムステルダム・オリンピックで銀メダルを獲った後、周囲からの重圧に押しつぶされて、過労死のような形で亡くなります。
当時、国民がオリンピック出場選手にかける期待は、今と比較にならないほど大きく、「負けたら生きて帰ってくるな」と海外に送り出されるような時代。
アスリートにかかる負担は大変なものでした。
祖母は、人見絹枝の死後も彼女の記録を破ろうとしましたが、ついに果たせず、出産を前に引退。
そして、太平洋戦争、終戦、戦後と、動乱の時代が過ぎ、絶頂期で燃え尽きた人見絹枝は「伝説」に。
一方、生き続けた祖母は、人々に忘れ去られました。
私が、そのことを知ったのは、祖母の死後。
子供だった頃、孫の私から見た祖母は「怖い人」でした。
とにかく顔を見れば説教、説教。
時には電話で呼びつけられて怒られる。
祖父は亡くなっていましたが、アパート経営は順調。
銀行員が手土産を持って訪ねて来たり、アパートの住人が相談事を持ち込んだりして、祖母の家は来客が多かった。
祖母は、おせっかいで口が悪く言いたい放題なのに、周囲から「ゴッドマザー」と尊敬されていました。
8人の孫の中で、一番祖母に叱られたのが私。
その当時は「私ばかり叱って」とひねくれていましたが、孫の中で、移民時代の日系人の苦労話を、最も多く聞かされたのも私でした。
今考えてみると、私の行く末が一番心配だったのでしょう。
でも、子供だった私は、周囲に心配ばかりかける、かなりひどい孫でした。
祖母の気持ちがわかったのは、祖母が死んで10年後。
そして、時々祖母が罵倒していた「ヒトミキヌエ」が何者か知ったのも、祖母の死後のことです。
「天国の祖母に謝りたい」……そんな思いがつのるようになり、「いつか祖母の名誉回復のために、どこかで祖母のことを書いて発表したい」と考えるようになりました。
2004年…祖母の17回忌にあたる年。
私は文芸春秋2004年版ベスト・エッセイ集に、祖母を描いた作品を載せることを決意しました。
ベスト・エッセイ集への応募総数は、毎年プロ・アマ含めて5000人といわれています。
でも、負けられない。
祖母の冥福のために。
そして私が「日本で唯一文学賞を獲ったアレルギー闘病記の著者」という肩書きから自由になるために。
まず、過去10年分のベスト・エッセイ集全部に目を通し、掲載作品の分野、作者の肩書き、文章の出来を100点満点で採点しました。
特に優れた作品は、文節に区切って品詞構成を調べ、音声解析……文章を細かく分解して構造を調べたのです。
掲載作品は、年度にもよりますが、大体1冊に60編。
作品内容から推測すると、読者は50代から60代。保守的な人々で男性が多い。
落語や純文学について詳しくは知らないけれど「教養があるところを周囲に自慢してみたい」程度の興味はあり、有名人が大好き。
出典は、全国紙や他社の雑誌からも作品を選んで「それなりにバランスをとっている」つもりらしい。
でも、『文藝春秋』からの転載作品、「文藝春秋枠」が15編前後。
作者は作家、エッセイスト、タレント、学者など、有名人ばかりで、作品の出来は平均68点。
60作品の内6作品前後が、主婦や教師などの「一般人枠」で、作品の出来は平均75点。
「有名人に甘く、一般人に辛い」。
年によっては「一般人枠」の半分が『文藝春秋』からの転載作品だったりすることも。
採用作品の傾向は、人物の話題が多く、漢字の含有率が35%前後。
一般的に「読みやすい」とされる文章の漢字の比率が30%前後ですから、漢字が多い方。
文体は、やや生硬で、色で言えば青みがかった灰緑。
文章のテンポはアンダンテ(歩く速度)。
視覚的描写の多い文や、語尾の整った流麗な文は好まれない。
「感動のあまり涙が止まらない」ほど盛り上げて書いてはいけないらしい。
体言止めは2割程度にとどめ、ぼそぼそとした触感を残し、有名人がらみのエピソードを必ず入れる……これを踏まえて執筆にとりかかりました。
まず、祖母と人見絹枝の陸上競技記録を父に借り、妹の写真専門学校映像科での卒業作品、晩年の祖母のインタビュー・ビデオを借り、図書館で人見絹枝の生涯を調べました。
集めた資料で、自己採点で100点満点に近いものを書き、そこから内容を削って、読者が感情移入できる「穴」を作ります。
実は、読者が感情移入できて、しかも「うまい」と言わせるには、完璧であってはいけない。
70点から80点の作品でなければ。
全力を尽くして70点の作品が書ければ一番楽なのですが、私は凝り性で、どうしても100点を目指してしまうのです。
手間がかかるやり方ですが、「ベストが70点」の作品と比べられた時、「抑えた筆致で将来性有り」と判断されて、私の方が有利。
完成した作品「偉大な祖母と愚かな孫の物語」……『祖母ハンナ・オコンネルと私』は、標準的なベスト・エッセイ集の作品より、つるつるした感触で青みと透明感の強いものになりました。
自己評価は78点。
2004年版ベスト・エッセイ集への応募条件は『2003年中に発表された新聞・雑誌に掲載されたエッセイ。生原稿、単行本不可。1200字から6000字まで』。
「有名人枠」は有名な順から採用するようなので不利。
あえて数の少ない「一般人枠」を狙いました。
原稿を『文藝春秋』に送ると、『文藝春秋』に載っただけで終わるおそれもあったので、他誌から応募することに。
でも、最初から「ベスト・エッセイ仕様」で作られた『祖母ハンナ・オコンネルと私』を載せてくれるところがあるのか……幸い掲載誌が見つかり、2003年の年明け、私の作品は雑誌に掲載されて、応募資格を手に入れました。
ところが、その年の夏に出た『2003年版ベスト・エッセイ集』を読んで、私は青ざめました。
60作品中15編前後だった「文藝春秋転載作品」が増えた……他誌から応募する私には絶対的に不利。
2000年版から選考者が毎年少しずつ交代していて、傾向が読みにくくなっていたのですが、これは予想外。
しかし、今更後には引けません。
2004年は祖母の17回忌。
「今年失敗したから、来年再挑戦」というわけにはいかないのです。
2003年秋、占星術で選んだ吉日に、風水で選んだ吉方位の郵便局から作品を投函。
あとは祈るばかりの日々。
勝つためには何でもやりました。
2004年春、文藝春秋から掲載決定通知が届いた時は、本当にうれしかった。
私は2004年を「祖母の17回忌」ととらえていたのですが、文藝春秋の方は「オリンピックの年に、日本初の女性メダリストの話とはタイムリー」と考えたようです。
賞金は驚くほど少額でしたが、私の目標「祖母の17回忌に花を添える」と「「日本で唯一文学賞を受賞したアレルギー闘病記の著者」の肩書きから自由になり、次のステップの足がかりをつかむ」は達成されたので、満足のいく結果でした。
天国で、祖母も安堵してくれているといいのですが……「いや、まだまだや。もっとしっかりせなあかん」と腕組みしていそうな気もします。
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2006年04月18日
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そして、このコラムも読み、短い文章の中に「こんなにも想いが詰まっていたなんて」
と思いました。
父から昔よく花子さんの話を聞きました。
他のコメントにもある山下本蔵さんとマギーさんの名前も知っております。
凄く嬉しい気持ちになりました。
山下花子さんの事が少しでも知れて嬉しかったです。