「やはり、受け(技をかけられる側)にしろ、取り(技をかける側)にしろ、全力でかかっていくのが、相手に対する礼儀でしょう」
先生は、そう言いますが……そうかなあ。
これまで、私はどちらかというと受けの時も取りの時も「相手に合わせる」ことを心がけてきましたが。
ただ、時々、先生と同じことを言う有段者と出会うのも事実です。
座技一教(正座したままかける関節技)の稽古の最中のこと。
「こういう時、受けの関節を力いっぱい極めようとする人もいますから、気をつけないといけませんよ」
先生は、両手で私の左腕を押さえながら言いました。
「でも、あまり「痛い目にあわせてやろう」とか思わない方がいいですよ。思いもよらない反撃を、私の体がするかもしれません」
「どんな?」
「例えば……」
私は左足をひょいと上げました。
右足は、正座していて、足を折り畳んだ状態で動かせないけれども、左足は浮き上がった状態だったので、自由に動かせるんです。
そして、ゆっくり回し蹴りをすると、ちょうど蹴りが先生の脇腹(急所)に、まともに入ってしまう。
でも、先生は正座した状態で、私の左手を両手で押さえているので、私の蹴りを防ぐことはできません。
もっとも合気道では「回し蹴り」は反則ですが。
「私でさえ、この程度のことは思いつくんです。私の体の意思、自己防御本能は私よりも、頭がよくて残酷ですから、気をつけてください。しかも、いざとなれば、私の意思とは関係なく、私の体は、勝手にそういうことをやりますから」
「ははは。体が勝手に? そんなわけないでしょう」
先生は大笑いしました。
そして、稽古再開。
今度は片手取り(相手に片手を取られてからかける技)の自由技の稽古。
「自由技」というのは、「どんな合気道の技をかけてもよい」ということ。
今度は先生が取りになりました。
私の右手を両手で捕らえ、大きく身を沈める先生。
私が受身を取ろうとした、その瞬間、ふっと、黒い影が胸の中をよぎりました。
いかん!
気がついた時、先生は私の右手を両手で捕らえて、私の前にひざまずく姿。
私の左肘は、先生の首の30センチ手前で、ぴたりと止まっていました。
この状態、私は先生に攻撃できるけれども、先生はひざまずいているので、私を蹴ることもできないし、両手で私の手をとらえているので、私の攻撃を防ぐことはできない。
「危ないじゃないですか! 首に肘打ちするところじゃないですか!」
「大丈夫ですよ。止めましたから」
「そりゃ、わかってますけど。……それにしても、よく止められましたね」
先生は苦笑しました。
「危ないと思ったので止めましたが……首に肘打ちときましたか。予想外でしたね」
そう言った後、しばらく、先生は何か考え込んでいました。
……まずいなあ。
気づかれたのか。
先生には言いませんでしたが、自己防御本能が狙っていたのは、先生の首ではなく耳。
でも、これを知ったら先生は怒るだろうなあ。
状況をわかりやすく説明すると、
先生は私の自己防御本能を試してみたくて、あえて私を受身をとるのが難しい、低い位置で投げようとした。
先生の意識を読み取った自己防御本能は、それを阻止しようと、先生が無防備になる瞬間……両腕で私の右手をとらえ、身を沈めて投げる直前に、空いている左手の裏拳で先生の右耳を殴ろうとした。
それを察した先生は私を投げるのを止めた。
投げられる危険がなくなったので、自己防御本能は先生を殴るのを止めた。
……投げられる直前の一瞬、先生と私の自己防御本能との間で、恐るべき駆け引きが行われていたわけです。
もちろん「耳を殴る」は、聴覚と平衡神経にダメージを与えるので、合気道では禁じ手です。
ただし、「最小限の力で敵に最大のダメージを与えるためには何でもあり」の護身の世界では、頭の片隅においておかないといけないこと。
それにしても、よく寸止めでおさめたなあ。
……やっぱり、怖い人だ。先生は。
そういえば、9年前、武道13段の夫は私に合気道を勧める時、こう言いました。
「どういうわけか知らんが、お前と、お前の自己防御本能は別口に動いとる。そんだけ鋭い自己防御本能、「戦う才能」があるのに、それを使わんのは、惜しいと思わんか?」
「……悪いけど。私は戦いたいわけじゃないし、自分からは仕掛けたことは一度もない」
そう私が答えると、夫は大笑い。
「そりゃ、見てたらわかるわ。そやけど、合気道やったら、その「戦う才能」を生かせて、しかも、戦わずにすむやろな」
「戦う才能」を生かせて、しかも「戦わない」……どう考えても矛盾しているけど。
その後、合気道を続けてきて、いまだに「戦う才能を生かせて、しかも戦わない」状態がわからない。
それどころか、時々、自己防御本能が過剰反応して、相手を驚かせてしまうことさえある。
元々、先天的に「欠け」が多かった私の体。
特に私を悩ませたのは喘息とアレルギー。
多くの持病と闘い、ハウスダストやカビの胞子などの「見えざる敵・アレルゲン」と常に戦い、さらに病気への偏見や暴力と戦い……そして、今も戦い続けている。
いつのころからか、私の心とは別に、体が勝手に動いて危険を避けるようになりました。
でも、その能力がなければ、たぶん、私の判断ミスで100回ぐらい死んでいるでしょう。
いざとなれば、簡単に私の意識を封じて的確に危険に対処する力。
その残虐さは敵の悪意に比例し、危険が去れば自動的に静止する。
決して自ら争わない力。
自己防御本能……私には絶対に必要だけど、制御できない力。
いったい、どうしたらいいんだろう。
……次回に続く……
ラベル:合気道
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