まじめに来年のカレンダーを探してみましょう。
実は、台所に貼って家族の予定を書いていたカレンダーが、今年の夏に引っ越した時に、使えなくなってしまったんです。
新居の台所の壁のスペースが狭く、柱に貼るしかないんですが、その幅は25センチ……前のカレンダーは貼れなかった。
カレンダーのサイズはB5やA4という単位で、「幅25センチ」という変なサイズのカレンダーは、なかなか見つからない。
「幅25センチで、書き込むスペースが大きくて、きれいな写真がついた月めくりカレンダーがない」とぼやいていたら、夫に「自分で作った方が早い」と言われました。
とりあえず、カレンダーについて調べようとしたら、予想外のサイトが出現。
『全国団扇扇子カレンダー協議会』……何者?
しかも『12月3日はカレンダーの日』とか言ってるし。
全国団扇扇子カレンダー協議会の設立は昭和23年。
当時の企業の販促用品の主力が団扇、扇子、カレンダーだったために、この奇妙な組み合わせの団体ができたらしい。
物品税を撤廃させたり、国会で祝日法案の論議が始まるたびに「施行は2年後からに」と陳情して成果をあげたり、東京上野弁天堂境内に「暦塚」を作ったり。
……260社も集まると、いろいろなことができるようですね。
団扇や扇子はともかく、カレンダーについて見てみましょう。
世界で初めて暦が作られたのは古代バビロニア。
これは月の満ち欠けを利用した太陰暦でした。
ローマでも太陰暦が使われ、新月の翌日を「月の最初の日」としてお金の清算をしました。
それを「カレンダー」と呼んだ。
……ローマ人、お金にシビアですね。
日本に暦が伝来したのは飛鳥時代。
日本書紀に、「553年(欽明天皇14年)に百済へ暦博士の来朝を求めた」とあります。
この時伝わった暦も太陰暦でした。
現在の太陽暦(グレゴリオ暦)を使用するようになったのは、1873年(明治6年)から。
1872年、明治政府は突然「23日後、来る12月3日を新暦(太陽暦)の明治6年1月1日とする」と発表し、それまで太陰暦になじんでいた国民は、大混乱に陥りました。
しかし、欧米諸国と暦を合わせることで、日本は急速に近代化していくことになります。
12月3日が「カレンダーの日」になったのは、そういうわけだったんですね。
初期の暦は壁に貼るものじゃなくて小冊子でした。
明治時代中頃に1枚刷りの引札略暦(広告つき一年カレンダー)が大流行。
そして、1903年(明治36年)に日めくりカレンダーが大阪で製造されました。
旧暦も併記され、美しい台紙に広告が入ったもので、多くの人に配布されて大人気だったようです。
……この頃の人の関心は「今日は何日なんやろ」に向いていて、「3ヵ月後の予定はなんだったっけ?」なんて、あまり考えなかったのかもしれないですね。
現在主流の写真入り月めくりカレンダーが登場したのは、1945年 (昭和20年)以降。
……ふうん。意外に遅いなあ。
それにしても……
よく考えてみると、つい数年前まで、カレンダーというのは「もらうもの」でしたね。
実家にいたころは、車屋や保険屋や酒屋がカレンダーを持ってきてたし、父も取引先が会社に持ってきていたものを持ち帰ったりして、年末になるとカレンダーがあふれかえっていました。
……いつのころからだろう?
自分でカレンダーを買うようになったのは。
まあ、好みのものにこだわるなら、自分で買う方がいいけれども。
結局、ようやく見つけた25センチ幅のカレンダー、きれいな花の写真の『高橋永順フラワーカレンダー』を買いましたが、第5週がある月の月末の書き込みスペースが狭いのが、ちょっと心配。
来年は、本当にカレンダーを自作するはめになるかもしれない。
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