若者たちは、それぞれ自分の居合用刀を買い、みんなで居合道の教室に通ったりして楽しそうです。
「合気道と居合道。関係あるんか?」と思われる方も多いでしょう。
前に『守破離の宿命』(前編)で、日本武道史について説明しましたが、どんな武道でも「ある日突然無から生じた」わけではありません。
どんな武道も、時代の流れや他武道の影響を受けながら発展しているものです。
だから、私は「合気道だけが正しい」とか「空手以外の武道は邪道」とか「柔道以外は武道でない」とか、そんな考え方はしたくないのです。
武道をする人と、その武道との「相性」はあるかもしれませんが。
『合氣道(復刻版)』(植芝吉祥丸著・出版芸術社)に、開祖植芝盛平翁ご自身のご発言が掲載されていますが、開祖は大東流合気柔術をはじめ、天神真揚流、起倒流、柳生流などの柔術、宝蔵院槍術、剣道など、さまざまな武術を学んで、合気道を作られました。
合気道は刀の動きを生かした動作が多く、「実際に刀を持てば、もっと上達できるかもしれない」と考える人が出てきても不思議ではありません。
さて、この居合道ですが、歴史は古く、室町時代の人、林崎甚助源重信が開祖とされています。
「不意に敵が襲ってきた時、一瞬で相手の死命を制して身を守る」、護身の刀法で、自分から攻撃しないところが、合気道と似ています。
『居合道』(中村泰三郎(8段)著・成美堂出版)によると、『居合道は、「静中動」を一体にして「形」の修練により、自己のいっさいの邪念をはらい、精神を練磨し、正しい刀法と刀剣の取り扱いを研さんしつつ、人格の修養をはかるのである』……うーむ。かっこいいなあ。
一方、剣道の原型ができるのが、江戸中期の正徳年間(1711〜15年)。直心影流の長沼四郎左衛門国郷が、竹刀と防具を考案しました。
それまでの剣術は、木刀を使った「組太刀」稽古が主流でしたが、これは一歩間違うと、大怪我をしたり、死んだりする危険な稽古。
竹刀打ち込み稽古は、「相手に遠慮なく思い切り打ち合える実践的な稽古」として、瞬く間に広まり、武士だけでなく、町人や農民も剣術道場に通うようになりました。
明治期の廃刀礼で、剣術は存亡の危機を迎えますが、剣術各流派は大日本武徳会を結成、流派の統合と、現在の剣道のルールにあたる「打ち突き」の部位と方法を制定。
そして、警察や学校教育に採用されて、終戦直後の危機を乗り切って発展していきます。
現在居合道は、杖道とともに全日本剣道連盟に加盟し、共通の型や段位や試合のルールなどを制定し、連携を模索しています。
武芸十八般から分かれた「動」の剣道と「静」の居合道、どちらも大事です。車の両輪のごとく、この2つの剣の道がともに発展していく……それが理想だと思います。
……次回に続く……
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