その日は最高気温35度。
大阪独特のねっとりとした蒸し暑さ。
「夕方になっても、ちっとも涼しくならないですね」
「難儀やなあ」
そう言い合いながら、私たちは高津神社の石段を昇っていきます。
今年の参加者は4人。
全員有段者で私以外は全部男性。
更衣室で着替えて演武者控え室に行くと、すでに居合道と空手の皆さんが、それぞれ演武の打ち合わせを熱心にされています。
私たちも用意されたテーブルを囲み、打ち合わせ。
先生は言いました。
「1団体あたり持ち時間が20分なので、演武の技は大体決めておきました。まず4人が一列で出て、神前に礼、観客席に礼。後ろ受身、体の転換、体の転換から呼吸投げ、片手取り四方投げ、正面打ち一教、二教、三教、正面打ち入身投げ、短刀取り自由技。最後は代表演武ということで、僕が自由技で演武します。最後は神前に礼、観客席に礼。僕が名前を呼んだら前に出て「止め!」と言うまで、2交代で指定した技を続けてください」
奉納演武の舞台は屋根があって、杖(合気道で使う棒状の武器)はひっかかるので使えないし、木刀を振り回しての演武も危ない。
舞台の面積が畳六畳ですから、大勢が同時に演武することもできない。
やれることが限られています。
でも、その中でもできる限りのことはやりたいですね。
打ち合わせが終ると、私と先生は、すこし早めに奉納舞台に向かいました。
合気道の演武では舞台に畳を敷く準備が必要なのです。
今年の夏季大祭は、京都の祇園祭と重なったせいか、去年より神社の参拝客が少ないみたい。
奉納舞台の上には6台の和琴が並べられ、女子高生たちが雅やかな琴の音を響かせています。
おかしいなあ。
プログラムでは、琴曲部の演奏は、もっと遅い時間だったはずだけど。
ワンピース姿の司会者の女性が、先生のそばに来ました。
「プログラムでは、合気道演武は次の次になってますけど。観覧されてる皆さんに、合気道のことを、どのようにご紹介したらいいでしょうか?」
先生は、ちょっと得意そうに答えました。
「……最大の特色は「がんばらない」ことですね」
「かんばらない?」
司会者は鸚鵡返しに答え、表情がこわばりました。
困惑の表情で立ち尽くす司会者。
あわてて私は横から言いました。
「がんばらないというのは、余計な力を使わないという意味です。例えば、大きな男の人と小柄な女の人が腕相撲をすれば、単なる力比べになって、必ず力の強い男の人が勝ちます。でも、合気道は相手の力を利用して、それほど自分の力を使わずに、相手を投げ飛ばしたりすることができる武道です。力の弱い女性や老人でもできる、護身術としても役に立つものです」
「なるほど。「がんばらない」って、そういう意味ですか。わかりました。そのようにご紹介させていただきますので。では、演武の方、よろしくお願いします」
笑顔が戻った司会者は、奉納舞台の方へ去っていきましたが、先生は不機嫌そうな顔。
「あの説明はよくないですよ。護身は合気道の一面に過ぎない。誤解を受けます」
「でも、司会者の方も合気道を全然知らないのに、合気道を知らない観客に、それを説明しなきゃいけないんですから。困ってたみたいですよ」
確かに、合気道の技は肩に力を入れるとかからない技が多く、「がんばらないこと」は大事なんです。
「合気道では「がんばらない」ことが大事ですよね」
「そうそう脱力が絶対に必要ですよね」
……という会話は、合気道家同士なら成り立つんですが。
残念ながら、まだ合気道は、柔道や剣道、空手ほどには知られていなくて。
時々「合気道って瓦割るんですよね?」と訊かれる状態で。
(合気道では瓦は割りません)
この武道系コラムを書きはじめる時、「ネット上で文章を書けば、合気道を全然知らない人も読むかもしれないから、できるだけわかりやすく書こう」と考えました。
その当時はまだ茶帯でしたし、今も黒帯とはいえ初段ですが。
数十年合気道を極めた高段者の方からは、「合気道をはじめて間がない者が知ったふうなことを書くな」とお叱りを受けるかもしれません。
でも、私はあくまで「自分が見た合気道の姿」を書くことにしました。
たとえ、それが「合気道の一面」にすぎなくても、私の文章を読んで、誰かが合気道に興味を持ってくれたら。
そして、それをきっかけに、いろんな面を持つ合気道の魅力を知ってもらえたら……
いつも、そう願って武道系コラムを書いています。
おかげさまで、合気道のことを中心にしている武道系コラムなのに、空手、柔道、剣道、弓道、居合道、少林寺拳法、大東流合気武術、中国武術など、さまざまな他武道の方や、合気道を全然知らない方からも応援のコメントやメールをいただいたりして、本当にありがたいことです。
合気道を知らない人に、いかに合気道の魅力を正確に伝えるか……
とても難しい問題なんですね。
先生が司会者に言った「がんばらない」も、私が言った「護身」も、どちらも合気道の一面としては「正解」なのですから。
何か、合気道を知らない人に、その特徴を一言で、わかりやすく伝えられる表現があればいいんですが……。
琴曲部の演奏が終った後は、高校生のダンスが始まりましたが……
なんだかわからないうちに、あっという間に終ってしまいました。
まずいな。
一団体あたり、持ち時間20分のはずですが、ダンス部のダンスは10分足らずだったような気がする。
予定より30分近く、私たちは演武することになってしまいました。
畳を準備するつもりで早めに舞台の前に来ていて正解。
今年は、去年演武を助けてくださった極真会館の方が、空手の奉納演武を撮影するついでに、私たちの演武も撮影してくださるとのこと。
……本当にありがたいことです。
「では、これより武道の奉納演武がはじまります。まずは合気道です」
司会者のアナウンスで、私は緊張しながら奉納舞台に上がりました。
……次回へ続く……
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