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2011年09月20日

文化祭再見

「渋高の文化祭に遊びにこられませんか?」



今年の緑友会(大阪府立渋谷高校同窓会)総会の席上で、渋谷高校の校長先生と教頭先生のお誘いを受けました。

私たちの世代、昭和50年代後半は、文化祭に行くのに在校生からの招待状が必要でした。
卒業生といえども校内には簡単に入れなかったのです。 

同窓会総会は、毎年箕面観光ホテルであるから、同級生や先輩や後輩に会えるチャンスはあるけど。
長らく訪ねていない母校。

どう変わってるんだろう。

……そこで、「渋高文化祭見学ツアー」を企画。
参加者は5人。

公務員のnimaさん。
ゆんさん。
看護師の同級生。
図書委員の後輩。
そして私。

みんな渋高へ行くのは27年ぶりです。

正午に校門前で待ち合わせた四半世紀前の高校生5人。
いささか緊張の面持ちで校門をくぐると……

「こんにちは。保護者の方の受付はこちらです」と、受付の机の前で、在校生たちが笑顔で迎えてくれました。
そうか。よく考えたら、私たちは保護者と同じ年齢なんだ。

「すみません。卒業生なんです」
「卒業生の方はこちらです」

卒業生専用の受付で、氏名と卒業年度、当時の担任の名前をノートに記入。

「こんな「2011年卒」ばっかり並んでる下に、「1984年卒」って書くの嫌やわ」と言いながら名前を書くゆんさん。
来訪者は最近の卒業生ばかり。
その上の世代の卒業生は、招待状なしで文化祭に行けることを、まだ知らないんでしょう。

受付で、生徒の手作りの文化祭パンフレットと、スリッパをもらって校内へ。

校舎は耐震工事中。
あちこちに白い養生の幕が張ってありますが、教室も廊下も全然変わってない。

この渋谷高校は、上空から見ると「井」の字に似た形をしています。
五月山側の理科室や図書室などがある「特別教室・北館」と、大阪平野に面した「普通教室・南館」。
「北館」と「南館」をつなぐ2本の長い渡り廊下に囲まれた広い中庭は、白い砂利が敷かれ、黒い飛び石と松の緑が美しい。

体育館へ行く時に、渡り廊下を歩くのが面倒で、中庭を横切って先生に叱られたなあ。

「まず、どこを見る?」と私が言うと、「当然食堂や。渋高に来て、学食食わんわけにはいかんやろ」とnimaさん。

ということで、文化祭に来て、いきなり食堂へ向かう私たち。

南館の1階の廊下。
校長室横の巨大なガラスケースに、トロフィーや賞状がぎっしりと入っています。
部活動は盛んで、つい最近も放送部がNHK杯全国大会で入選。
ここでnimaさんは写真を撮りました。

文化祭見学ツアーの目的の一つが、「現在の渋谷高校の様子を記録すること」。

mixiの掲示板やFacebookのウォールなど、ネット上に卒業生が交流する場がいくつかあるのですが、いずれも写真がありません。
そう簡単に中に入れないし、肖像権の問題もある。

掲示板上では、みんなが母校を懐かしむのに、肝心の今の母校の姿がわからない……
それが残念だったのです。

そこで、教頭先生から許可をいただき、校舎や石碑の写真を撮ることになりました。

私たちがトロフィーの写真を撮っていると、教頭先生が来られました。

「お招きいただきありがとうございます」
「文化祭、楽しんでください。PTAのチャリティーバザーにもご協力をお願いします」

チャリティーバザーで翌日の朝食用のパンを買って食堂へ。
せっかく来たんだから、学食を食べないと。
当時の食堂のメニューは、おいしくて安かったけど。
今はどうだろう。

南館の校舎を出て、さらに渡り廊下を歩いて食堂へ。
食堂の建物も全然変わってない。
建物どころか、傷だらけのテーブルや椅子もそのまま。
時が止まっているような空間。

「やっぱり日替わり定食かな」
「僕はカツカレーやな」
「きつねうどんも悪くないかも」

それぞれ思い出のメニューがありますが。
私たちが食堂についた時は、お昼時を少し過ぎていて売り切れのものが多く、全員がカツカレーを注文して、カレーを撮影。

驚いたことに、味が全然変わってない。
しかも27年で100円しか値上がりしていない。
調理師の努力の賜物です。

カレーを食べながら、みんなで思い出話をしていると、窓からトンボが入ってきて目の前を通り過ぎ、風に乗って反対側の窓から出て行きました。

変わってないなあ。

食堂でのんびりした後は、水泳部の女子マネージャーのゆんさんと看護師の同級生のリクエストで、部室とプールを撮影。

そして校舎に戻ります。

渡り廊下の両側にある植え込みの木々は、緑が濃くて「森」の雰囲気。
私たちがいた頃は「林」でした。
木々の成長だけが27年の歳月を感じさせます。

渡り廊下の片隅にある『甲子園出場の記念碑』……

「これが見たかったんや」とnimaさん。

学力的には中堅の「大阪府立渋谷高校」ですが。
私立の強豪校がひしめく大阪で、公立高校でありながら大阪代表として甲子園に出場したことで有名です。
今年もベスト16まであと一歩で、「公立の強豪校」の伝統は健在。

ちなみに、私たちが卒業したのが1984年と1985年。
甲子園出場が1990年なので、記念碑を見るのは、みんな初めてです。

『等身大の野球』と銘打った灰色の石碑。

「自ら目標を定め、身の丈に合わせて懸命に努力する」
渋高独自の価値観が反映されています。
部活、委員会活動、ボランティアなど、授業以外の行事も盛んなので、「自分のやりたいこと」を見つけやすい学校です。

多くの樹木が植えられ、緑豊かな広い敷地。
学校の北側にある五月山から南の大阪平野に向けて「五月おろし」が吹き抜ける校舎。
晴れた日には大阪湾まで一望できる普通教室。

心地よい風が吹き抜ける中、教室から光る大阪湾をながめながら、自分の将来について思いをめぐらしていた、あの頃……

今思えば、宝石のように贅沢で貴重な時間でした。

ここで私は「図書室」という居場所を見つけ、やりたいこと……
「図書館司書になってレファレンス(情報案内サービス)をする。趣味として文章を書く」を見つけました。

司書になれなかったけど、今はレファレンスを活用した執筆が仕事なので、満足しています。 

その私の思い出の場所……
図書室は、残念ながら閉まっていました。
後輩と「中を見たかったのに。残念やなあ」と言い合いつつ、入口にある新しい赤い返却ポストを撮影。

さて、全員見たいところは見たし、あらためて文化祭を見学。

パンフレットによると、体育館の舞台発表は昼過ぎまでだったらしい。

「しまった。見とけばよかったかな」と私が言うと、「食堂でダラダラできたからええやんか」と、nimaさん。
「そうよ。ダラダラするのが渋高の正しい作法なのよ」と、ゆんさん。
「せかせかしちゃダメよ」と同級生の看護師。
「のんびりできてよかったですよ」と後輩。

みんなが納得してるならいいか。

「まず自分が納得できるか」。
これからの時代に幸せに生きていくためには必要なこと。
ただ周囲の状況に流されるだけでは、身も心も焼き切れかねない厳しい時代が来るのですから。

オルゴールのBGMが流れる普通教室には、各クラスの作品展示コーナーや模擬店があります。
同じ日に各高校で文化祭があるせいか、来客はまばらですが。
制服姿の在校生たちと私服姿の若い卒業生たちが、あちらこちらで談笑していて楽しそう。

「文化祭見学」というより、「ひなびた温泉宿で湯上りにくつろぐ」ような、不思議な時間を過ごした私たちですが。
みんないいリフレッシュになったようです。

6年先は大阪府立渋谷高校創立100周年。
その頃に、また来られるといいな。
タグ:高校 文化祭
posted by ゆか at 16:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 文化祭当日は、事務所前で折角お会いしたのに、私の方が子供の用事で急いでいて挨拶もそこそこに失礼しました。申し訳ありませんでした。また同窓会総会でお会いできることを楽しみにしています。
 それと、食堂の件ですが、昭和の頃は確か大黒屋という業者(刀根山高校と同じだった)が入っていたのですが、平成になって少ししてから別の業者に入れ替わっていると近所の元食堂のおばちゃんから聞いています。夢を壊してしまったならすみません。
Posted by 書記の後輩 at 2011年09月22日 00:42
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