夫は両手で私の右腕をつかむやいなや、すばやく私に背負い、投げようとしました。
「うわぁ!」
悲鳴を上げたのは夫の方。
気がつくと、私は夫に背負われた状態で、夫の胴を両足で挟み、あいている左手で夫の顔面をわしづかみに……
この体勢では背負い投げは不可能。
「あほ! お前はタコかっ!」
私の右腕から手を放し、夫は怒鳴りました。
「いやあ、私も、私がこういうことすると思ってなかったし」
背負い投げをかけられる直前の記憶がないのです。
これは私の自己防御本能の仕業。
私を床におろして、夫は厳しい顔をしました。
「俺の首のへんで、すごい殺気あったけど、お前、何するつもりやってん!」
「なんとか止めたけど、耳を喰いちぎろうとしてたね」
「あほっ! お前はサメかっ!」
激怒する夫に負けず、私は言い返しました。
「こんな病弱で非力な女性に、大の男が背負い投げかける方が、間違ってるやんか!」
「……あほ。大体、病弱で非力な女が、人の耳にかみつくか」
夫はすこし表情を和らげました。
柔道の場合、背負い投げをかけられた受け(投げられる側)は、あいた手をだらんと下げたまま。
そうしないと、着地の瞬間、畳を叩いて衝撃を和らげることができません。
「俺は、危なくないように、ちゃんと、ベッドに投げたるつもりやったんや」
私は夫とベッドを見比べました。
確かに、あのまま背負い投げをかけられていても、着地するのはスプリングのきいたベッド。
安全を確保した上で、私を試したのです。
「俺、組みつかれるかもしれんとは思っとったが、まさか、かまれるとは思わなんだわ」
「過去の経験では、かみつきは、かなりの実績を上げているからね」
自己防御本能は、私よりはるかに冷静で残虐。
身を守るためには手段を選びません。
人間は、普段人にかまれることがないので、かまれるとパニックに陥ってしまうのです。
ただし、この「かむ」は、喰いちぎる気迫でやらないと相手を逆上させてしまいます。
昔、読んだ護身術の本には「相手の頚動脈を喰いちぎる」恐ろしい話がありました。
危険すぎるので、ほとんどの武道や格闘技は「かみつき」を禁じ手としているのでしょう。
私が生まれつき病弱だったため、「私の意思」とは別に、身を守るために「私の体の意思(自己防御本能)」が発達したと夫は推測しています。
私にとっては、自分の体が思うように動かせないわけですから迷惑な話。
でも、結果的には体の判断の方が正しいので、悔しい。
一方、武道の世界では、自己防御本能と自分の意思が別であることが、望ましいとされています。
特に、攻撃のスピードを要求される打撃系の武道、空手などでは、自己防御本能と自分の意思をバラバラにするために、かなりの修練を積まなければならないそうです。
空手4段剣道3段少林寺拳法3段大東流合気柔術2段柔道初段で、空手と剣道では指導員経験のある夫は、私を一目見て「こいつに武道させん手はない」と考えたらしい。
夫が落ち着いたところで、私は話を元に戻しました。
「ところで、前回り受身は、本当に、実戦で役に立つのかなあ」
「たとえば、階段から突き落とされたり、バス乗ってて車に追突されて、開いた窓から、バスの外に放り出されたりした時に、役に立つんや」
「あんまりそういう目にあいたくないなあ」
「そう言うたかて、そういうことがないとは言えんやろ。受身ができたら、空中で体を丸めて転がれるから、首の骨とか、顔や頭の骨折れたりせんですむわけや」
なるほど。ちょっと感心しました。
「それから、言うておくが、受身する時、畳を強く叩く癖をつけるな。手痛める。実際に受身するのは、畳の上と違うて、コンクリやアスファルトの上やからな」
「そう言えばそうなんやな」
合気道をはじめて5年の間に、私は2度実戦を経験しています。
一度も自分から戦ったことがないのに、やたらに実戦の場数を踏んでいるのは、運が悪いからでしょう。
残念ながら、私の場合、「実戦」は常に想定しておかなければなりません。
「力学的に、重力は垂直にかかる。畳叩く動作は体の回転を促すためのもんや。体が回転しながら着地することによって、重力が体の1箇所にかからず、着地した時の衝撃が弱くなるんや。顔や弱い内臓の部分守るために、顎を引いて、体丸めること方が大事やねん」
えらく科学的な話になりました。
「飛び上がることより、前に転がることを、意識するといいやろ。水泳の飛び込みぐらいの角度で、心持ち「落ちる」イメージでやったら、うまくいくんちゃうか」
夫のアドバイスを胸に、毎日ベッドに飛び込んで、受身の練習をしました。
1週間後、スポーツ教室での自主練習。
家での練習の感覚で、そのまま畳に向かって飛びました。空中でくるりと回転し、無事着地。
いつものように途中で曲がらず、畳の目に沿って、まっすぐに進んだようです。
前回り飛び受身成功。
いつも受身の稽古に付き合ってくださる有段者が近づいてきました。
「なぜ飛び受身ができたんですか? 先週は前回り受身もできなかったのに」
「家でベッドに飛び込んで、毎日練習しました」
「ほほう。そうですか……では、今度は、普通の前回り受身をやってください」
私は低い位置からの前回り受身を、左右何度かしてみました。
利き手の左はうまくいきますが、右はすこし斜めになってしまいます。
「ははあ。これは、もうちょっと、前回り受身、練習せんといけませんね」
有段者は青々と剃り上げた頭をタオルでぬぐいました。(この方の本職は僧侶です)
「左右とも、完全にまっすぐに進めるまで、飛び受身はやらないでください。まずは、普通の前回り受身をマスターすることが先です」
「すみません」
その後、3ヶ月かかって前回り受身を完璧にできるようにしました。
今は、前回り飛び受身も普通にできますが、どうしても、飛ぶ横受身が苦手で練習中。
ああ、有段者への道は遠い。
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2006年10月17日
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