私が合気道をはじめる前に、夫はそう言いました。
実際に自分が初段になってみて、その言葉は正しかったように思います。
でも、初段や弐段から高段者になるのは、さらに難しい。
……本人の努力と武道を続けられる運、そして環境も必要だから。
所属道場には、五段六段の高段者がたくさんおられましたが。
「合気道のすばらしさを広めたい」という使命感に燃える方と、「稽古が楽しくて続けているうちに、いつのまにか高段者になってしまった」方と二通りおられました。
この「いつのまにか高段者になる」、これが理想の形なのかもしれません。
稽古環境について、『合気道探求』43号の『稽古覚え書』で、合気会本部道場の菅原繁師範が興味深いことをおっしゃっています。
『稽古はお互いに受けを取り、感覚を磨き合っていくものです。そしてお互いが十二分に動いて稽古を終えることができたら、「またこの人といっしょに稽古をしたい」という気持ちになります。このような稽古仲間がいれば、道場に通うのもまた楽しくなり、稽古も続くことでしょう』
なるほど。長く合気道を続けていくには稽古環境も大事ですね。
しかし、一番肝心なのは「運」でしょう。
去年は東日本大震災で、多くの道場が「稽古できない」環境に追い込まれました。
例えば、師範をはじめ門下生全員が被災して、稽古どころでなくなった東北の道場。
節電対策で市立体育館が夜間開放を停止、稽古場の確保に苦しんだ北関東の道場など。
やっぱり、生活の基盤がしっかりしてこその稽古だと思います。
ちなみに、空手四段剣道参段少林寺拳法参段大東流合気柔術弐段柔道初段の夫が、武道を続けられなくなった原因は、父親の経営していた会社の倒産と、父の死でした。
会社の清算と残った家族を支えるために、懸命に働いているうちに稽古から遠ざかったのです。
たまに昔いた道場で空手のビジター稽古をし、今も時々自宅の六畳のミニ道場で、無心に空手の型稽古している夫の後姿を見るたびに切なくなります。
……稽古は道場でやらなければ、本当に意味がないんだろうか……
ずっと抱いていた疑問に対する答えを、内田樹先生が『合気道家私見』で書かれていました。
『私たちの日々の暮らしが、私たちにとっての戦場であり、舞台の本番であり、生き死にの境なのである。道場はそれに備えるためのものである。稽古は競ったり、争ったり、恐れたり、悲しんだりすることを免れて、ただ自分の資質の開発という一事に集中することが許された特権的な時間である。道場はそれを提供するための場である』
『生活即稽古、稽古即生活』、それを現代の武道修行者のめざす理想だとする、内田樹先生の言葉に、私は安心しました。
「いつか所属道場に復帰したら弐段を取ってほしい。それにふさわしい実力をつけてもらいたい」という、先生の期待もよくわかるのですが。
介護がいつまで続くのか、いつ所属道場に復帰できるのかは誰にもわからない。
私の場合、「丹田呼吸法の習得」「合気道を通して人との間合いを学ぶ」という、明確なテーマがあるし、毎回新しい発見もあるので稽古が楽しいんですが。
漫然と稽古している人だったら、稽古しても昇段できない……この状況はつらいでしょうね。
「まあ、昇段して高段者になって、みんなを指導するって柄じゃないし。万年初段で「合気道がわからん」とぼやいてるのが、私に似合いでしょう」
「またまたそんなことを。そういうこと言う人には、剣の素振りの特訓です。今日は苦手の八方斬り、重点的にやりますからね」
「うへえ。厳しいなあ」
先生は笑っていました。
今の私には、自分のテーマを追いながら、一つ一つの稽古を丁寧にこなしていくことしかできませんが。
それでも武道を続けられるのは幸せなことです。
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内田樹先生がこう書いてます。
「今は何の役に立つのかわからないけれど、いつか自分の命を救うことになりそうなもの」を探り当てる感覚を練磨するのである。それが「学び」の前段ということである、と。
武道は敵と戦うためだけではなく、あらゆることから自分を守るためだということは間違いないでしょうね。
とても考えさせられるテーマです。
ある人の話した内容なんですが、「運」には天運と地運があるのだそうです。
天運とは、まさに人の力ではどうにもならない運。
地運とは、努力や工夫によって引き寄せられる運。
ごちゃまぜにせず、運だからと諦めず、幸運にも慢心せず、感謝をわすれず。
日頃の生き方、考え方も大切なんだなと思いました。
私もそろそろ稽古を再開したいです(笑)