医者の言葉に私は愕然としました。
ガン……?
「悪性かどうかは検査してみないとわかりません。いずれにしろ、初期段階ですから、死ぬようなことにはありません」
……そう言われてもなあ。
私にとってガンとは未知の病気。
一族郎党のほとんどが高血圧で死ぬ家系に生まれているので、身内でガンになった人間がいないのです。
私の持病は喘息の影響で起こる軽い狭心症、喘息薬の副作用で起こる発作性頻脈で、心臓病で死ぬ確率は高いものの……ガンはまずいなあ。
自分も長く苦しむし、介護する家族も長く苦しむことになる。
「それにしても、よくこの段階で気がつきましたね。普通は、もっとどうしようもない状態になってから病院に来るものです。あなたのように「何かがおかしいような気がする」と言って検査に来る人はいませんよ」
「気がついた」ではなく、正確には「強引に気づかされた」です。
2ヶ月ほど前から、休日のたびに寝込むようになりました。
どこかが痛いというわけではないけど、とにかく体がだるくて眠い。
困ったなあ、と思っていたら、今度は吐き気を伴う胸騒ぎが3日続きました。
……非常にまずいことになった。
何かとんでもない異変が起きているらしい。
私は昔から喘息薬の吸入薬を使っていました。
この当時の薬は非常に危険で、副作用事故で死者が出ているのにもかかわらず、致死量は明らかにされていませんでした。
ところが、喘息発作が止まらず、苦しまぎれに吸入薬の3呼吸目を使おうとすると、必ず強烈な吐き気を伴う胸騒ぎがして、どうしても3呼吸目を使うことができません。
生まれつき複数の持病を持っていたため、私の意思とは別に自己防御本能(体の意思)が発達して、時には私の意識を封じてでも、身を守ろうとするのです。
ちなみに、後に日本アレルギー学会が発表した喘息薬の使用限界は「1回につき2呼吸分まで」。
喘息薬の副作用事故で、たくさんの患者が死んで、社会問題になってからの遅い発表でしたが。
3呼吸目からが致死量だったわけです。
私は知らなかったけれども、私の体の方は致死量を知っていて、胸騒ぎを起こして、私が薬を致死量使ってしまうのを阻止していたらしい。
それと同じ胸騒ぎが起きた。
喘息発作中でもないのに……
不安になって病院で検査すると「腫瘍発見」。
これは不覚でした。
自分にふりかかる病気の想定には「ガン」は入っていなかったのです。
「検査結果によっては開腹手術になって、入院が長引く場合もありますが、それはしかたないですね」
医者は簡単に言いましたが。
……ああ、いよいよ合気道やめなきゃならんのか。
合気道に限らず、武道の稽古を続けていくには、さまざまな条件が必要です。
健康で経済状態が安定していて、仕事、出産、子育て、介護などに煩わされず、頻繁に稽古ができる時間的余裕があること。
……それが基本条件。
本来、それほど健康でもない私は、在宅介護を抱えた時に合気道をやめるはずでしたが、武道十三段の夫の協力と出稽古先の先生のご好意で、合気道を続けて来られたのです。
でも、開腹手術となれば復帰が難しいかも。
所属道場では病気で手術した後に復帰した人も少なかったけど、以前の通りに動ける人は、もっと少なかった。
私は復帰できるんだろうか。……
「ガン? そりゃないやろ。ポリープとちゃうか。ガンやったら、そんなに飯食うて動けるはずないで。まあ、体治して、徐々にリハビリして、また合気道やったらええやんか」と夫は気楽に言うし。
「ガン? そんなわけないでしょう。ガンだったら、普通の人と同じように稽古できるはずがないです。それに、僕のところは少人数だから、リハビリがてらマイペースで稽古できますよ」と先生は、にこにこしているけど。
やっぱり不安だよなあ。
「稽古ができなくなること」について、『佐々木合気道研究所』の佐々木貴七段は、こう書かれています。
『稽古事に、これでいいという終わりはない。しかし、気持はそうでも、肉体的な限界があるから、いつか必ず終焉を迎えることになる。有難いことなのか、悲劇なのかは分からないが、終焉の来るのは分かっていても、いつ来るのかは分からない』
すでに古希を超えられ、肉体は衰えはじめている。
それでも自分の合気道を追求される佐々木七段。
『終焉は間違いなく近づいてきている。だが、少しでも今日の稽古で変われれば、明日も変わるだろうし、一年後は大きく変わっているかもしれない。道に外れないよう、明日を楽しみに、来年、また10年後を楽しみに、一瞬一瞬を大事に道を進まなければならない』
合気道は、空手や柔道などとは違って、強靭な体力がなくてもできる武道なので、「体力的に稽古ができなくなる時」というものを、あまり意識しないものですが。
在宅介護をはじめてから、一回一回の稽古を大事にしてきたつもりだけど。
もっと大事に稽古しなきゃいけませんね。
とりあえず、検査結果がはっきりするまで、しっかり稽古しましょう。
……次回に続く……
ラベル:合気道
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