新着記事

2007年01月13日

五輪書(前編) 武道と武蔵

私の通う道場には、師範が自ら書かれた、墨痕鮮やかな宮本武蔵の『兵法三十五箇条』と『独行道』が、額に入れて飾られています。
師範は合気道の稽古の最中、よく宮本武蔵の話をします。
武蔵の生きざま、考え方、書画……武蔵のすべてが好きで、武蔵についてなら、何時間でも語れるほど。

一方、夫の空手の師、大山倍達も「剣は拳に通ずる」と、門下生に『五輪書(ごりんのしょ)』を読むようにすすめたそうです。

天下の『剣豪』。
剣道をはじめ、今もさまざまな武道家から、その生き方を信望されている宮本武蔵……いったい、どんな人なのでしょう。

宮本武蔵は江戸時代初期の人。
数え年13歳で最初の決闘に勝利して以来、28〜9歳まで、60回以上の決闘に負け知らず。
肥後国熊本の「二天一流」の開祖。

一乗寺下がり松や巌流島などの決闘は有名ですが……フィクションの可能性が高い。

武蔵自身が書いたとされる『五輪書』には、巌流島の決闘の記述は一切なく、一乗寺下がり松の決闘については『廿一歳にして都へ上り、 天下の兵法者にあひ、数度の勝負をけつすといへども、勝利を得ざるといふ事なし』とあるだけ。

「巌流島の決闘」は武蔵の死後、歌舞伎や浄瑠璃で人気を博した仇討ち話。
これをきっかけに講談・読本などで、武蔵は大人気……
そして、現代人の「宮本武蔵像」を決定的にしたのが大ベストセラー、吉川英治の小説『宮本武蔵』。

さて、岩波文庫の『五輪書』(宮本武蔵著・渡辺一郎校注)によると、今のところ、正当な武蔵の伝記とされているのは、『五輪書』の序。
武蔵の死後、養子の宮本伊織が、九州小倉に立てた墓碑銘(小倉碑文、長門国下関沖の舟島で岩流を倒したとの記述あり)などのわずかなもの。
今後新たな資料が発見されれば、歴史は変わるでしょうが。

昔はコピー機がなく、本の複製を作るのには、手で書き写すしか方法がありません。
書写の途中で誤字脱字があったり、写す人が自分の意見を書き込んだりして、元々の原本とは違う複製品ができることも多かったのです。

戦災などで、原本が焼けてしまうことも多く、残った複製品を頼りに、膨大な時間と手間をかけて研究し、史実を明らかにしなければならないので、歴史研究は大変な作業。

現在、全国各地に散逸した資料を集め、「武蔵の実像」に迫ろうとしているのが、播磨武蔵研究会。
研究会のサイト『宮本武蔵』は、学術的にかなり面白いものです。

今回、私が読んだ岩波文庫の『五輪書』は、肥後細川家の所蔵本を元にしています。
武蔵が晩年を過ごした熊本で、高弟の寺尾孫之丞勝延が武蔵から譲り受けたとされるもの。
師範のお好きな『独行道』と『五輪書』の元となった『兵法三十五箇条』も収録。
古文で書かれていますが、平明なわかりやすい文体で、注釈もついているので読みやすい。

62歳の武蔵が、死ぬ間際に書いた『独行道』。
『我事におひて後悔せず』『いづれの道もわかれをかなしまず』などは、読んでいて胸がつまるような感じ。

なぜか36項目ある『兵法三十五箇条』は、二天一流の太刀の使い方から、兵法の心得などが、とても細かく書かれている覚書。
これを肉づけしたものが『五輪書』。

『地之巻』では兵法二天一流のおおまかな説明。
『水之巻』では具体的な剣術技法。
『火之巻』では合戦について。
『風之巻』では他流の評論。
『空之巻』では、二天一流の究極の境地『万理一空』について述べているのですが……

二天一流剣術だけでなく、多くの武道家の心をつかむ『五輪書』。
その謎について考えていきたいと思います。

……次回に続く……
ラベル:武道 合気道 剣術
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
にほんブログ村ランキング
こちらには『ventus』で書かれている内容と同じ分野のブログがたくさんあります。
もし、よろしければご覧ください。

武術・武道ブログランキング

ステーショナリー雑貨ブログランキング