「武道家のくせに、五輪書を読んどらんのか? あかんなあ。俺は3回読んだで」
夫にそう言われて、私はちょっと悔しかった。
『五輪書』は、剣術の本のイメージが強かったので、合気道に役に立つのか疑問でしたが……
読みはじめて、重要なところに付箋を貼ろうとしたら、大事なところだらけ。
気がつくと、厚さ7ミリの薄い文庫本からはみ出した、大量の黄色い付箋がビラビラして、本のページがめくりにくいったら、ありゃしない。
数えてみると、3ページに1枚、付箋を貼ってしまっている。
私が、特に注目したのは、『水之巻(すいのまき・剣術の具体的な説明)』『火之巻(かのまき・戦術について)』。
『水之巻』の
「目付け(相手を見ること)は大きく広く見よ。観見(かんけん)二つのうち、観(心の目)を強く、見(肉体の目)は弱く、遠い所を近く見て、近い所を遠く見ること」
は、すべての武道家が共通して必要なことですね。
「刀の持ち方」の中では
「太刀も手も、居つく(固着して動かない)のはいけない。居つくことは死ぬこと。居つかないことは生きることだ」
「足の運び」は
「常に歩くように。飛び足、浮き足、足が地にべったりつくのはいけない」
武道をする者としては、いちいちうなずくことばかり。
合気道は、刀や槍などの武器を持った相手と素手で戦う武術、「柔術」から発展した武道なので、実際に木刀(木剣)を振ることが多いのです。
刀の持ち方や姿勢まで、細かく書いてくれているのは、ありがたい。
特に師範がよくおっしゃる
「構えあって構えなし。相手次第で融通無碍に変化すること」は『水之巻・有構無構のおしへの事』。
「手の短い猿のように、手を出さずに身体ごと相手に近づくように。手だけを出そうとすると、身体が後ろに残り不利になる」は『水之巻・愁猴(しうこう)の身といふ事』。
「ニカワのように、相手にぴたりと密着すると攻撃されにくい」は『漆膠(しつかう)の身といふ事』
……うーむ。そうだったのか。
『火之巻』では、勝つために、敵(人数、武器、戦意など)をよく観察すること。
敵の心理を洞察して先手を打つこと。
敵の心を乱す方法や、敵のペースに巻き込まれぬ方法。
攻撃が効かない時、すぐに方法を切り替えることの大切さなどが、細かく書かれています。
特に驚いたのは、『火之巻・場の次第といふ事』。
「太陽を背にして構えること。できない時は、太陽が後ろから右の脇にあたる場所に身を置け」
「後ろと左の空間を広くとり、敵をやや見下ろす高い位置に身を置け」……
太陽を背にして構えると、敵は自分の姿がまぶしくて見えにくい。
右脇だと、右手(日本人のほとんどは右利き)の動きが見えにくい。
自分の後ろに障害物などがあると、敵に追いつめられたら不利になる。
左の空間を広くとる(自分の右に敵を置かない)のは、もし相手が自分より右にいると、敵の方が攻めやすいから。
相手をやや見下ろすのは、相手とその周囲まで視界に入れて、より有利な攻撃がしやすいからです。
「敵を自分の左へ、難所(障害物があるところ)へ追い込め」……恐れ入りました。
私の経験(『最大の敵(前・後編)』)でも、相手の攻撃を受ける以前に、戦う場所の空間構成で、勝負がついてしまうケースがありました。
もちろん、武道や格闘技を習って身体を鍛えることも大切ですが、戦場の空間構成(地形・障害物の位置など)を把握し、利用すること。
自分がいち早く有利な場所を確保することは、実戦上、非常に大事。
ちなみに、護身術で「戦場の空間構成」について、詳しく書かれているのは、元傭兵の著書が多いのですが、『五輪書』で、その話題が出てくるとは思いませんでした。
よく考えてみると、宮本武蔵は「一度も負けたことがない」のですから、実戦技術は相当なものだったはずです。
この『五輪書』は、400年たった現在でも、生かすことのできる「勝つため」の技法・技術がたくさん載っている、どの武道の武道家が読んでも、何かしら学ぶことのできる恐るべき実用書。
武道家でなくても、「勝つこと」に興味がある方にはおすすめです。
武蔵の文章は、わかりやすい古文ですが、現代訳の『五輪書』(鎌田茂雄著・講談社学術文庫)の方がいいかもしれません。
兵法者として「勝つ」ことを極めようとした宮本武蔵。
書画などにも造詣の深い彼は、晩年、禅と出会い、病をおして、自分の経験を弟子たちに伝えようと『五輪書』や『独行道』、『兵法三十五箇条』を書きました。
36項目ある『兵法三十五箇条』の最後、36番目は『万理一空の事、万理一空の所、書きあらはしがたく候へば、自身工夫なさるべきものなり。』
この36番目を除いて「三十五箇条」ということらしい。
でも、この『万理一空』が、何度『五輪書』を読み返してもわからない。
……宿題になってしまいました。やれやれ。
宮本武蔵玄信、小説や映画などで作られたイメージ「無敵の兵法者」を、とりのぞいても、なお武道家の心をとらえる、魅力のある人です。
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2007年01月16日
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