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2013年03月02日

『荒天の武学』

『荒天の武学、1回目読了』

『1回目読了?』
『体に染み込むように何度も読み返すのです』

……備中(岡山)の武人とのFACEBOOK上でのやりとりだ。

日本韓氏意拳学会会長で、長年ハワイで武術指導していた光岡英稔氏と、合気道家の内田樹氏の対談集。
武道家や武術家の間では話題の本だが……

何度も読み返さなきゃならんほど難解なのか? 

最初に内田氏が「先が読めない荒天の世」「平和でルールが守られている晴天の世」の2つのモデルを提示。
「銃をつきつけられる、誰かが包丁を振り回して襲ってくることを想定していない日本の武道はルール信仰の晴天型」と批判。
「実戦」という点ではその通りだ。

以前、大東流合気柔術二段の夫に「合気をかける」を実演してもらったことがある。
実戦の場数あるからわかっとるやろけど。稽古以外で手を差し出すような、アホなまねすんなや」と夫は笑っていた。
合気道は「手首をつかまれてから技をかける」のがルール。
だが、大東流の人間に手首をつかまれたら、その瞬間で「おしまい」になるのだ。

ちなみに、子どもの頃から様々なものと戦い続けている私は、「銃を突きつけられる」前の段階で「銃を突きつけられないように」全力で戦う。
もちろん手段は選ばない。

内田氏によると「荒天の時代」の武道家は、あらゆる危機に対して感受性が高くないといけないそうだが、その状態はストレスがたまる。
そこが難しいところだ。

それにしても……お二人とも抽象的な表現が多いな。
確かに、備中の武人が言うように、内容を咀嚼するためには何度も読み返す必要があるようだ。

『武術とはきれい事では済まない状況を如何にきれいに解決できるか。そこに存在意義がある。武術は決して殺し合いや殺戮を目的につくられたものではなく、争いがあったとしても願わくば互いが無傷で終え、仲直りできるように和平へと結びつける為の術であり業である』

……体罰問題で揺れる武道界にとって、光岡氏の言葉は重い。 

『荒天の武学』 内田樹・光岡英稔著 集英社新書

ラベル:武道
posted by ゆか at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 本読みコラム | 更新情報をチェックする
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