降りしきる雨を見て不安になりました。
毎年8月24日に開かれる大阪府指定無形民俗文化財・池田の「がんがら火祭り」。
城山町の人が建立した池田愛宕神社と、建石町の人が京都愛宕神社を勧請した星の宮神社。
二つの火の神様を祀る神社の氏子たちが、家内安全を願って、同時に池田市内で繰り広げる火祭りの日。
しかし、雨か……数百本もの燃える松明を使う祭りだから中止かもしれない。
幸い夕方に雨がやんで、今年も予定通り豊中・池田ケーブルテレビの特別番組『平成25年がんがら火祭り生中継』が放映されました。
中継の司会は7年続いて同じ女性タレント。
解説者は城山町の「大一文字がんがら火保存会広報係」の男性と建石町の「大文字保存会役員」の年配者。
私の母校・大阪府立渋谷高校は池田市にあって、この祭りに関わる先輩・後輩・同級生もいますし、『ventus』の記事を「大一文字がんがら火保存会」の方が翌年の生中継の参考にされてますから、レポートにも気合が入ります。
去年の映像のダイジェストの後、最初のゲスト、池田青年会議所理事長が登場。
同じ日に池田市役所付近で行なわれる「いけだ・いらっしゃいフェスティバル」を宣伝。
今年は池田青年会議所設立50周年を記念して、大阪池田市発祥の「チキンラーメン」を使ったイベントなどが開かれるそうです。
この番組はVTRと夜の生中継で構成されています。
最初のVTRは、昼間の池田愛宕神社で山伏が行った護摩焚きによる「御神火の神事」。
護摩焚きとは、家内安全・五穀豊穣を願って野外に護摩木や藁などを積み上げ、仏や菩薩を招いて点火する修験道独自の護摩儀礼。
傘をさした大勢の参拝客が見守る中、山伏が東西南北の空に向かって矢を射る、刀を抜いて真言を唱えるなどのお祓いを行った後、桧で覆った護摩木の山に点火。
雨にもかかわらず猛烈な白煙が立ち昇り、オレンジの炎が勢いよく燃え上がります。
今年はVTRの時間が長く、この珍しい神事をじっくりと見ることができました。
「今日雨が降ってよかった。晴れの日が続いて空気が乾燥していたので心配してたんです。これも御神事だからでしょう」と広報係の男性。
雨が降らなければ、松明の火が家屋に燃え移る危険があったのです。
ここで地図を使っての城山町の「大松明巡行」のルート説明。
五月山中腹の池田愛宕神社の御神火で、五月山西側に「大一」の火文字を点火後、御神火を点した小松明が山を下り、池田旧市街「油かけ地蔵前」で大松明に火が移されます。
大松明は池田市内を巡り、最後に池田城公園付近の愛宕神社分社に納められます。
一方、星の宮神社の御神火は、京都市北西部の愛宕山山頂の『総本宮京都愛宕神社』から5月にいただいたもの。
8月24日まで保管した御神火で、建石町の氏子たちが五月山東側の中腹に「大」の火文字を点火。
その後、御神火は五月山ふもとの「山の家」で待機していた子どもたちの松明に移され、池田市内を巡り、星の宮神社に奉納される。
松明の巡行ルートが全然違うのです。
続くVTRは夕方の星の宮神社。
青いハッピ姿の建石町の子どもたちの参拝後、「子ども松明」がスタート。
今年はドイツ人の子どもも参加して80名。
八町鐘を鳴らす年長の子どもたちの後に、火のついていない竹の松明を持った幼い子どもたちが続き、付き添いの親と一緒に40分かけて五月山へ登ります。
そして夜の建石町の火祭り、「大文字」の映像。
五月山の中腹の闇の中に浮かぶ赤い「大」の火文字。
この火文字のために、山の急斜面に並べた40個の大きな鉄鍋に薪を入れ、50分間火が消えないように燃やし続ける大変な作業が行われています。
ここで2人目のゲスト、小南修身池田市長が登場。
大阪府立渋谷高校の大先輩です。
「がんがら火祭り」が大阪府の無形民俗文化財に指定されたおかげで、観光客が年々増えているとのこと。
今年は池田市職員が10人、城山町の大松明の担ぎ手に参加しているそうです。
「来年は370回目。市をあげての盛大な祭りにしたい」と語られました。
続いて池田愛宕神社の「大一文字」の映像。
元々は「一」だった火文字が、いつ頃「大一」になったのかわからないそうですが、五月山北西部の中腹に浮かぶ「大一」の火文字が黒い猪名川の水面に映ってきれい。
城山町の「大一」の火文字が書き順通りに点火されるのに対し、建石町の「大」の火文字は中心から上下左右に点火されるとのこと。
ちなみに、建石町の火祭りも200年以上の歴史がありますが、「大」の火文字の由来は不明なんだそうです。
場面は変わって池田愛宕神社の夕方の映像。
境内に集まった黒い大工装束の男衆が、緊張の面持ちで神主のお祓いを受けます。
小松明に御神火が移され、「大一文字がんがら火」がスタート。
松明に油分の多い「肥松」が使われているため、多少の雨でも火が消えないそうです。
60kgの小松明を3人がかりで担ぎ、若者たちは鳥居をくぐって池田旧市街へ。
五月山東側中腹の「大」、西側中腹の「大一」。
二つの火文字が同時に見える池田旧市街からの映像の後は、城山町の親子が「子ども松明」を楽しそうに作る風景の録画。
城山町の松明の芯は肥松、建石町の松明の芯は割り箸で、両方とも竹の先に芯を取りつけ、灯油を浸した布を巻いています。
さて、城山町のがんがら火は……
五月山ふもとの油かけ地蔵前。
車が入れない狭い急な坂道を、若者と松明を囲んで護衛の警官たちも駆け下ってきます。
ここで御神火は小松明から大松明へ。
「わっしょい」の掛け声とともに大松明を持ち上げる大工装束の男衆。
暗い路地を赤々と照らす炎。
大松明が立ち上がり、先端がUの字状の武器「さすまた」で上部を固定されて「人」の字が完成。
大松明は4本。一対で2基。
長さ4メートル、重さ100キロの大松明を「人」の字に組み合わせたまま、人間が担いで町を練り歩くのです。
大松明の製作VTRによると製作期間は2ヶ月。
竹の芯に希少な肥松を巻きつけて縄で縛る。
この火祭りのためだけに行われる神聖な作業です。
昭和8年、昭和16年の城山町の火祭りの資料によると、その当時はの大松明はもっと小さく、重さも60kgでしたが、太平洋戦争前後の中断期を境に大きくなったらしい。
ここで池田旧市街の中継。
大工装束の子どもたちがかかげる小松明に先導されて、ゆっくりと城山町の大松明が進んでいきます。
一基あたり20人。
指揮をとる「しんもち」。
松明を持ち上げる人、綱で松明を引く人、さすまたで松明を固定する人……
ふりかかる火の粉の熱さをものともせず、黙々と松明をかつぐ男たちの姿は感動的です。
場面は変わって、建石町の火祭りは夜の「山の家」。
子どもたちが緊張の面持ちで自分の松明に火を移してもらっています。
広場を埋めつくした炎が、光の道を作り、池田の街へゆっくりと降りていく。
そして、池田市役所前大通りに大松明が到着。
城山町の火祭りの最大の見せ場。
男たちは2基4本の松明を一つに組み合わせます。
飛び散る火の粉。立ち上る黒煙。
通りを埋めつくした人々の歓声と拍手。
毎年、強風で火の粉や煙が激しく、ハラハラしながら見ていますが、今年は風が穏やかなので安心して見ていられます。
この後、松明は横倒しにされ、新たな松明に火を移されます。
ここで、顔中煤だらけの大松明の担ぎ手3人へのインタビュー。
例年祭りに参加する担ぎ手が増えたので、今年は息の合った動きになっているとのこと。
やがて、大松明付け替えが終了。
家内安全を願って「消し炭」を拾う人々を残し、4本の大松明は市役所前から去っていきました。
番組の最後は星の宮神社の映像。
子どもたちが境内の「大」の字に並べられた竹の松明に火を移した後、松明を神前に納める。
建石町の火祭りの終焉です。
「子ども松明、楽しかったんやけど。意味は知らんかったなあ」
かつて建石町の火祭りに参加していた同級生は言ってましたが、できれば子どもさんに祭りの意味を教えてあげてくださいね。
来年は370回目の「がんがら火祭り」、楽しみです。
ラベル:祭り