伝教大師最澄を始祖とする「四心多久間流柔術」。
林崎甚助重信を始祖とする「民弥流居合術」。
発祥は慶長年間、椿木小天狗を流祖とする「椿木小天狗流棒術」は、体さばきで相手を制するのが特徴。
「型を繰り返し稽古するだけでは意味がありません。我々が使うのは剣ですから、まず、体の合理的な使い方を理解し、剣の理合を学んでいく。今回は皆さんに、普段我々がしている体の使い方を体験してもらいます」
黒田鉄山先生は、そうおっしゃいました。
講習会で行われるのは、古武術の稽古ではなく、基礎となる身体操法体験です。
体験するのは「足を使わず、床を蹴らず、倒れるということを主体とする」、四心多久間流柔術に伝わる「無足の法」。
床を蹴らずに、身体を浮上させて移動する居合術の「浮身」。
『最大限に動くことにより、最小の動きが生まれ、その動きは消えます』とサイトに難しい解説のある「最大最小理論」。
加速度をつけずに、常に同じ速度であらゆる方向に移動する「等速度理論」。
手や足などを動かさぬまま動く「順体法」。
「最大最小理論」「等速度理論」「順体法」を習得すると、黒田鉄山先生の身体操法の最大の特徴「最速の動き」「消える動き」ができるはず……確かに鉄山先生の動きは速い。
でも「消える動き」はわからなかった。
「お前の目は素通しのガラス玉みたいなもんや。観の目(かんのめ)に頼ってばかりせんと目玉も使え」と、武道13段の夫に叱られている私の目から見てですから、普通の視力の人には「消える動き」がわかると思います。
ちなみに「心眼」は2種類あり、例えるなら「観の目」が鋭敏なセンサー。
「見の目(けんのめ)」は高解像度のビデオカメラです。
私は生まれつきアレルギーがひどくて、目に見えないカビの胞子やハウスダストにふれると、喘息やアトピーや鼻炎に悩まされました。
いつの頃からか、これらの「見えざる敵」の濃度を瞬時に読み取り、接触する前に防ぐ技術を身につけたのですが、その代わり動体視力がゼロに近い。
動くものを長時間見ると目が疲れる。
講習では、体験者一人に振武館の方が一人ついてくれますが、どの動きも難しい。
例えば「順体法」体験。
両腕を上げて拳を作り、相手に手首を持ってもらった状態でしゃがむのですが、相手の体勢を崩しながらしゃがむのは至難の技。
それにしても低い姿勢の動きが多い。
しばらくして、私は左足先にわずかな痺れを感じました。
……まずいな。
腰椎が内側に入ってきた。
腰椎以外に、頸椎、胸椎の骨が先天的にはずれていて、いつ椎間板ヘルニアを起こしてもおかしくない状態。
「長時間の正座」「長時間の屈んだ姿勢」がドクターストップになっています。
分離している背骨が内側に入ると辛いので、常に背筋はまっすぐなまま。
でも、背骨の異常だから見た目ではわからない。
こまったな。
このまま屈む姿勢が続いたら、椎間板ヘルニアで救急車を呼ぶはめになる。
「喘息が出るほど過激な動きはしない」と聞いていたから油断してた。
鉄山先生や道場の皆さんに迷惑がかかる。どうしよう。
私が悩んでいると……
鉄山先生が、私に前に出てくるように指示されました。
四つに組んで、そこから右足を出して相手の足をひっかける「無足の法」の応用の体験です。
しかし、この「がっぷり四つに組む」動作がよくわからない。
合気道にない体勢で、もたもたしていると、「君は何も見ていなかったな。見ていたらできるはずだ!」と鉄山先生に厳しく叱られ、私はうなだれました。
なんとか四つに組んで、実演していただきましたが……
普通、足を動かす時、足や腰の筋肉が動くのに、それがまったく感じられず、膝から下の足の部分だけが、突然中空から私の後方に現れ、ひっかけられた感じでした。
何が起こったのか、さっぱりわかりません。
その後、「等速度理論」の体験が続きましたが、叱られたのと「無足の法」の衝撃で自信をなくした私に、振武館の皆さんは親切でした。
「あなたほど、体軸がまっすぐな人を見たことないですね。合気道の技をかければ、きれいに極まるでしょう」
合気道着姿の若者はほめてくれました。
回転を重視する合気道では、「姿勢がいいこと」が必須。
ここの術理とルールが違うのです。
鉄山先生は、体験者一人一人に術理を見せてくださいます。
さっきの怒りもどこへやら。
後ろから抱え込まれた腕を、肩や腕の筋肉を使わずに、するりと抜く「最大最小理論」の応用を、気さくに体験させてくださいましたが、叱られた私は、ぎこちない動きで申し訳なかったと思います。
講習会が終わると、深呼吸と腹筋を使って、内蔵側に入ってきていた腰椎を元の位置に押し戻しました。
たぶん、足の麻痺は出ないと思うけど。
帰ったら腰に湿布を貼って、『ビジュアル版 東洋医学 経絡・ツボの教科書(兵頭明著・新星出版社)』で調べて腰痛のツボを押しておこう。
経絡は柔術の活法から発展したものですが、柔術の子孫の合気道には伝わっていないのです。
でも、関節技をかける時に指で押さえてる場所は、ツボにあたるらしい。
合気道の技の時に、ツボを確実に押さえる資料のつもりで買ったのですが、持病の喘息や自律神経失調症を緩和するのにも便利な本です。
『人それぞれ個性というものがあり、それは術の世界における癖でしかありません。型の世界では無色無臭、そこには人ならずただ型が存在するのみです。理論的な動きを正しく動くことができればそこには無個性な身体的動きが存在するのみです。個性を持った人間が型を打ったとき、そこに独自の動きが反映された色やにおいがあってはなりません。ただ理論的な動きが存在するだけでなければなりません』
『振武館黒田道場』サイトには、こう書かれています。
皆さん、この境地をめざして、日々稽古されているのです。
……それにしても情けない。
基礎的な動きさえままならないとは。
やはり、私には武道は無理なのか……
帰り道のバスの中で私は考え込みました。
かつて武術は「見て盗め」、「見の目」が優れていて、体力がある男性のものでした。
病弱な女性の私が、武術の末裔の武道をするというのは、おこがましいのか。
落ち込んだまま、バスを降りて甲子園駅に向かって歩き出すと……
「お疲れさまです」
突然、後ろから声をかけられました。
講習会でお世話になった方で、同じバスに乗っていたようです。
合気道着姿だった彼は、実は元空手家でした。
合気道の道着袴は知り合いからのもらいものだとのこと。
「鉄山先生は、時々瞬間的に怒るんですよ。ずっと怒ってるわけじゃないので、気にしないでくださいね」
そう言われると気が楽になりました。
「振武館では、いつも、あのような稽古をしているのですか?」
「そうです。その後、剣の稽古をすると動きが全然違ってくるんです。まあ、普段稽古してても、なかなかできるもんじゃないですけどね」
彼は苦笑いしました。
確かに、筋肉を合理的に動かせば、力を使わずに、速く無駄のない動きができます。
「鉄山先生の身体操法は、どんな武術にも応用できます。僕は空手やってたんですが、その時にわからなかった理合が、今になってわかるようになりました。あの時わかってれば、全国大会の準決勝に勝てたのに……」
彼は遠い目をしました。
「僕は合気道の動画も見ますが、合気道は合気道で、すばらしいと思うんですよ。これからもがんばってください」
笑顔で彼と別れました。
喘息を軽減する丹田呼吸法習得のために合気道をはじめた私とは、別の面から、人間の身体の可能性を追求されておられる黒田鉄山先生と振武館の皆さん。
一期一会でしたが、出会えてよかったと思いました。
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まあ私ももうちょっと出来るかなと思って参加しましたが、こりゃちょっとやそっとじゃ出来んなと言う事だけ思い知らされました(笑)
あくまで「剣」を前提の流儀という印象なので、「こういう世界もあるんだな」という感じでいいと思います。