その晩は猛烈な喘息発作。
息苦しさと、咳をするたびに起こる、胸や背中に走る鋭い痛みがつらくて、追加の薬を飲んでいると、ふすまがガラリと開き、夫が寝室に入ってきました。
「おい。大丈夫か。だいぶ咳ひどいみたいやけど。昇段審査、近いんやろ?」
「……申し訳ない……昇段審査…止め入った……ずっと…がんばってきたのに……」
思わず涙ぐむ私に、夫は溜息をつきました。
「そうか。なんや様子がおかしい思たら、そうやったんか……たぶん、師範も、お前の体の心配しはったんやろう。今回無茶して、倒れてもあかんから、次回にいうことやろうな。」
「……なんで?」
「有段者なめんなよ。お前が、最近ずっと左肺かばっとるのは、お見通しじゃ」
恐れ入りました。
「とりあえず、背中から首の筋肉、ほぐしといたるわ。ちょっとは、痛みマシになるやろ」
夫は両手の親指で、私の背骨に沿ってツボを順番に押しはじめました。
少林寺拳法のツボの知識を応用して、私の喘息を和らげてくれるのです。
「それで、次の昇段審査はいつや?」
「9月末ぐらいと思う…でも、6月から研修あるから、今までみたいに稽古に通えないし」
「別に、日数達してるんやから、今までみたいに、無理して稽古に出んでもええやんか」
「そうか……いてててっ!」
背中のやや左にあるツボを押された私は、あまりの痛さに悲鳴をあげました。
「ここが痛い、いうことは、左肺の下半分炎症やな。あほか。お前は。左肺に穴開くぞ」
「……申し訳ない……」
「何をそんなに、初段に執着するねん?」
「早く初段取って、丹田呼吸法できないと。どんどん喘息が悪くなる。もう私は、気管支拡張剤を使えんから……そのうち私も、酸素吸入器つけた身障者になるんかなあ……」
また涙が出てきました。
でも、薬の効果と夫の指圧で、痛みはすこし治まっています。
「医者はどない言うてるねん」
「中等症持続型で、気管支拡張剤なしで、呼吸量7割なのは、喘息患者でも「異常にいい状態」らしい。事故起こした時は6割やったんや。今、この状態で、薬を減らす話してる。薬をたくさん使って呼吸量増やしても、今度は、気管支収縮予防剤やステロイドで事故起こすかもしれんから。気管支拡張剤に拒絶反応起こす患者は、前例ないそうやから、これからどうなるかはわからん。こないだの診察では、喘息日誌見られて「合気道、ちょっとひかえなさい」って叱られたとこ」
「最近、稽古した日の晩、必ず発作起こしとるから、俺も気になっとったんや……そやけど、もし、師範の止めが入らんで、今回審査受けたら、お前受かっとったか?」
「ほかの技はなんとかなるけど。正直なところ、座技呼吸投げが……ちょっと自信ない」
「座技呼吸投げか。飛び受身するやつやろ。その技は大東流にもあるわ。それで、お前、その技がでけへんわけか?」
「できないわけじゃない。あまり回数できないところが、ネックなんやわ。そこで、体力が問題になってる。「合気道は歩ければできる」って言われてるけれど、昇段は別らしい」
落ち込む私の肩をもみほぐしながら、夫は尋ねました。
「それで、その飛び受身、何百回飛べたら、初段合格やねん?」
「えっ?」
意表をつく質問。
そういう考え方はしたことがありませんでした。
「……何百回もやらなくていいみたいだけど」
「何十回が合格ラインや? 問題なのは、座技呼吸投げだけなんやろ」
「よくわからんけど、過去の合格者が飛んでるのは、多くても20回ぐらいと思う」
道場には、昇段昇級審査のビデオライブラリーがあります。
私も参考にしようと借りたことがありましたが、今まで飛び受身の数を、正確に数えたことはありませんでした。
「とりあえず、昇段のビデオ全部借りてきて、飛び受身の回数を調べろや。その数より、ちょっとだけ多く飛べるように、今から体を作れ。走り込みが一番ええねんけどな」
「走る動作は、全部ドクターストップだよ」
「しゃあないな。そしたら、できるだけ歩け。別に、呼吸は100%いらんから」
「まあ、歩くぐらいはできる」
「あと、力の配分も問題やな。座技呼吸投げは何番目の技や?」
「だいたい、最後の座技呼吸法の手前やね」
「いうことは、そこまでの技でできるだけ、体力使わんかったらええわけやな。できるか?」
「たぶん、なんとかできると思う。瞬間的に相手の気を読んで、相手が崩れる方向へ、できるだけ力を使わずに技をかける……今、体は確実にその方向に進んでるよ。利き手の左の「目」は開きかかってるから、あとは右手だけど」
「そうか……」
夫はすこし安心したようでした。
たぶん私の合気道は……すっと静かに立っていて、ムダに動かず、相手をひょいと投げる「陽炎」のような形になると思います。
ただ「高く飛びあがり、畳を強く叩く飛び受身こそ、合気道の醍醐味」と考える人の目からは、「手抜き」と見えるかもしれませんが。
「座技呼吸投げのほかに、過去の昇段審査で出た技、全部チェックしとけ。それと、当日、お前のほかに、審査に出てくる人間は、何人や?」
「たぶん3人。でも、支部道場からも何人か出てくるから、正確な数はわからん」
「とりあえず、今道場におる相手と、何度も稽古しておけよ」
「わかった」
……もしかしたら、昇段できるかもしれない……なんだか希望がわいてきました。
「この際、どんな手を使ってもかまわん。心眼と自己防御本能フルに使え。立ち合い(技をスタートさせるタイミング)同時で、しかも、呼吸100%のもんと互角にやらなあかん。いうことは、お前にとって、実戦より不利やからな」
実際のケンカの場合、「何でもあり」なのです。
私は凶器攻撃と「いきなり蹴りで相手の利き足にダメージを与えて動きを止め、二撃目でとどめをさす」を得意としていました。
さらに「立ち合う前からしかける技術(詳細は『最大の敵』(前編))」も確立し、体力が必要な持久戦に、絶対に持ち込れないようにしていたのです。
「どうやら、全然勝ち目ない勝負でもなさそうやんか」
夫は私の背中を軽く叩きました。
「まあ、あと半年あるんやし。とりあえず療養せい。心配ばっかりかけよって。あほ」
夫は大きな手で私の頭をなでました。
当面は、合気道の稽古を休んで養生し、元気になったら、再び、初段めざして稽古を再開するつもりです。いつになるかはわかりませんが。
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2007年04月21日
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と、いうより、最大の敵を拝読して、震えを覚えスゴイ!!と、思わず言葉にしてしまいました。私も合気道を稽古しているので、なんとなく心眼の感覚は、分かるのですがそれを、実際自分の一部とされて居るのですね。恥ずかしながら、黒帯を締めて居るので、私も是非、技として心眼のヒントをこのブログから読み取れればと、思っています。
また、コメントさせてください。