「なかなか体調いいですね。気管支炎も治っているようですし」……主治医は、私の『喘息日誌』を見ながら、穏やかに言いました。
喘息患者は、喘息をコントロールするために、毎日、自分の呼吸量を器具で測った数値、その日の天気や体調、行動、使った薬などを記入する『喘息日誌』をつけることになっています。
今年に入ってから、喘息日誌に『気管支炎』『合気道・夜間発作による不眠』の書き込みばかり続いていて、「合気道と、その日の夜間発作はイコールじゃないんですか!」と、主治医に叱られてばかりいました。
ところが、合気道を休んだ4月は、夜間発作がゼロ。
この春の昇段審査受験が見送りになったので、「合気道なんか、やってもしょうがないんじゃないか」と思いつめた私でしたが。……
「師範は、お前が無理してるの見抜いて、今回止めを入れはったんやろ」という夫の言葉に、考えを改め、とりあえず、気管支炎を完治させるために、4月の最初からゴールデンウィークが終わるまで、合気道の稽古をやめました。
「段にこだわらず、もっと合気道を楽しんだら」となぐさめられることもありました。
が、有段者にそれを言われると「有段者から見て、それほど私の昇段は絶望的なのかな」と内心悲しくなったりしました。
しかし、まだ、昇段を諦めたわけではないのです。
稽古に復帰したら、まず、道場のビデオライブラリーから、過去の昇段審査ビデオを借ります。
過去に出た技、技にかかっている時間をストップウォッチで計り、データを収集。
取り(技をかける側)の時は、心眼で相手の「気」を読み、最小限の力で効率よく技をかけるとして……問題は受け(技をかけられる側)になった時。
相手次第では、審査の最後の座技呼吸投げまでに体力を消耗してしまう。
やはり、ある程度、基礎体力は必要。
技の方は、次の昇段審査を受ける確率が高い松さん(同門。空手出身の合気道家。『武道と護身』(後編)や『古を鑑みる』(後編)などにコメントあり)に、協力をお願いして、シュミレーションをやってみる……と。
そんなことを考えていると、一通のメールが届きました。
『合気道においては自分の理想とする技なり稽古を楽しく続けていくのがいいと思います』……
メールの主は、英信流居合の使い手、初段の若者(『抜刀術』(後編)などで活躍)。
『体力がいらない座技呼吸投げのお手合せお願いします。13日は行くつもりです』……
「体力がいらない座技呼吸投げ」?
そんなことができるのかしらん?
13日というのは、市の合気道連盟の合同稽古のこと。
私たちの道場と、私の住む市のいくつかの道場と、市在住の初心者とが、みんなで稽古するイベント。
講師は師範。
会場の市の武道館に行くと、受付に、本職は僧侶の有段者(『投げと受身』(後編)に登場)が座っていました。
「久しぶりですね。たまには、スポーツ教室にも顔出してくださいよ」と、にこやかに声をかけられて、一瞬でも「合気道をやめよう」と思ってしまった自分が恥ずかしかった。
合同稽古に集まった人々は40人ほど。
市の広報を見て申し込んだ初心者もいましたが、ほとんどが有段者。
「合気道を科学的にとらえようとする人、合気道の神秘的な面に魅かれる人、それぞれに、自分のめざす合気道があっていい。今日は合同稽古ということで、初心者から有段者まで、さまざまな技量や考え方の人が集まっています。色々な人と稽古して、自分の合気道を分解して、もう一度、見つめなおす機会としてください」
……師範の言葉に、私は深く反省しました。
年明け以来、昇段のことばかりが頭から離れなかった私。
……早く初段になって、丹田呼吸法を身につけなければ、どんどん喘息が悪化する……
病院に行くたびに目にする酸素吸入器を取りつけた喘息の老人たち。
あれが私の未来の姿なんだろうか。
そして、その先にあるのは喘息死……
「意識のはっきりした状態で半日以上かけての窒息死」。
人間の一番嫌な死にざまの一つだと思いますが、その死に方で、年間5000人が亡くなるのです。
「喘息で死んだらどうしよう……」
ふと呟いた時、私は思い出しました。
……喘息で死ぬ前に、気管支拡張剤を致死量使い、急性心不全を選ぶ……
子供の頃から、そう心に決めていたことを。
子供の頃から体の自由が利かず、しかも「二十歳までもたない」との医者からの死刑宣告。
未来もなく、何の自由もない。
せめて死にざまだけは、自分で決めたいと誓っていたことを。
傲慢な考え方かもしれませんが、当時は真剣でした。
……いつのまにか、私は弱く、欲深くなっていたらしい……
故郷の黄昏の荒れ地(詳細は『障壁(前編)』)、自分の原点に戻った私は、もう一度、やりなおしてみようと思ったのです。
合同稽古の講習は、正座の仕方、立ち方から基本の体さばき、入り身投げや小手返し、二教や呼吸投げ……
技は、道場の稽古と変わらなかったのですが、「段を取りたい」思い抜きに、稽古をするのは久しぶりです。
考えてみると、昇段審査直前は、薬で無理矢理体を動かし、仕事で残業した後、あたふたと道場にかけつけて稽古。
夜は喘息発作……その繰り返し。
合気道の稽古はまさに「苦行」。
ただ、昇段できれば状況が変わるのではないかと、それだけを支えに稽古していたのです。
だから、「昇段見送り」は深刻なダメージでした。
でも、あの時止めが入らず、あのまま稽古を続けていれば、私は神経が焼き切れてしまっていたでしょう。
大盛況のうちに、稽古が終わり、いざ、「体力のいらない座技呼吸投げ」の稽古を……
その時、年配の有段者が、私と初段の若者に近づいてきました。
大柄で古武士のような風貌、3段の有段者。
初めて組み手した時、いきなり「君はそんなに人間が怖いのか」と訊かれ、思わず「すみません。怖いです」と答えてしまい、大笑いされたことがあります。
かなり実戦の場数を踏んでいる恐ろしい方ですが、よく私に稽古をつけてくださいます。
その人の指導で、なぜか、諸手取り(自分の片手を相手が両手でつかんだ状態から展開する技)の自由技の稽古。
居合わせた柳生新陰流の使い手の茶帯の若者、茶髪の茶帯の若者(ともに『杖と茶帯』(後編)に登場)も一緒になって、かかり稽古(一人を円陣を組んで囲み、一人ずつかかっていく稽古法)。
自由技の場合、相手に手をつかまれた角度や、自分の体勢によってかける技が違うので、なかなか大変。
稽古をしているうちに、「この実力で、昇段はちょっと無茶だったかな」と反省したりしました。
結局、座技呼吸投げの稽古はできませんでしたが、後稽古も楽しいものでした。
私が忘れていた「合気道の楽しさ」。
一ヶ月の休養で得たものは大きかったようです。
……次回へ続く……
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2007年05月19日
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