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2019年01月18日

いだてん(前編)  空白の24年

これはどうだろう……
録画したテレビ番組を夫と見ながら、私は考えました。

『いだてん〜東京オリムピック噺〜』。
「異色の大河ドラマ」と呼ばれている番組です。

「武士が出てけえへん大河はなあ」
「とりあえず嘉納治五郎が出るから見てみる」

嘉納治五郎(かのう じごろう)は柔道の創始者で「日本体育の父」。
天神真楊流柔術や起倒流柔術を元に「学校で行われる武道・柔道をはじめ、合気道の開祖・植芝盛平先生ともかかわりの深い方です。

『いだてん』の第一話では、役所広司演じる嘉納治五郎が、1909年(明治42年)に東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となって、日本のオリンピック初参加を実現するために奮闘する姿が描かれていました。
「精力善用」「自他共栄」を掲げる高名な教育者と知られる嘉納治五郎。
「厳しい人」のイメージがあったのですが、ドラマでは「論理的でポジティブな教育者」として描かれていたので、新鮮でした。

嘉納治五郎は、1911年(明治44年)に大日本体育協会を設立。
1912年(大正元年)、日本が初参加したストックホルムオリンピックでは団長として活躍しました。
1940年(昭和15年)の東京オリンピック(戦争の激化により返上)招致に成功したけれども……1938年(昭和13年)、77歳で亡くなります。

柔道(男子)がオリンピック種目になるのが、1964年の東京オリンピック。
1940年の幻の東京オリンピックから、1964年の東京オリンピックまで、24年のブランクがありますが、実はこの間に、柔道はオリンピックどころか、絶滅寸前まで追い込まれています。

第二次世界大戦後、日本の武道は「戦争を助長した」とみなされ、「武道禁止令」が出され、柔道や剣道など、武道が弾圧された時期があったのです。
『全日本柔道連盟』に年表形式の柔道の歴史がありますが、絶滅に瀕した日本の柔道が、苦労に苦労を重ねて、国際大会を何度も開いてオリンピックの種目に認められていく様子が描かれています。

日本の選手が活躍するマラソンや水泳の話もいいんですが、「学校の武道として発展した柔道が、苦難の末にオリンピック種目になるまで」を描いた作品も見てみたいものですね。

……次回に続く……
posted by ゆか at 23:59| Comment(0) | 武道系コラム | 更新情報をチェックする
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