友人のゆんさん(『緑友会』などで活躍)からメールが来ました。
『大阪池田のがんがら火』公式サイトによると、毎年、8月24日、大阪府池田市で毎年行われるがんがら火の起源は1644年(正保元年)。
池田市の重要無形文化財祭礼行事。
池田愛宕神社。京都愛宕神社の恩寵を受ける星の宮神社。
ともに火の神様を祭る神社が、家内安全を願って繰り広げる、300年以上続く伝統の祭り。
池田のシンボルである五月山に、城山町地区(池田愛宕神社の氏子)人々が、池田愛宕神社の御神火で「大一」文字の送り火を点します。
重さ100キロ、長さ4メートルの大松明、2本一組が3基繰り出し、半鐘や八丁鐘を「がんがら」と打ち鳴らしながら、池田市内、3キロを練り歩きます。
一方、建石町地区(星の宮神社の氏子)の人々が、京都の愛宕神社から星の宮にいただいた御神火で、五月山に「大」の送り火を点火。
子供たちが火を点した松明をかかげて、五月山から、ふもとの星の宮神社まで下り、御神火をお納めする。……
同じ日に行なわれる二つの火祭りを総称して「がんがら火祭り」と呼んでいるとのこと。
特に、城山地区の大松明は、大勢の男衆が、直接担いで練り歩くものだそうなので、さぞ勇壮なものだろう……
楽しみにHDDの録画予約をして、出かけました。
帰宅して「がんがら火祭り生中継」の録画を見ると……
薄闇を煌々と照らす子供松明の炎の連なり。
五月山の山中に、赤々と燃える二つの送り火。
ふりかかる火の粉をものともせず、大松明を必死で支える男衆の広い背中。
「人」型に組み合わせた2本の大松明には、車がついていません。
大松明を必死に支える人。
前方から綱で松明を引っ張る人。
二本の松明を束ねる人など十数人の担ぎ手が、「しんもち」の指揮で、じわじわと、数メートルずつ前進して行くのです。
しかし、難儀なのは、撮影カメラが数箇所にあって、次々に場面が切り替わること。
大松明と男衆を、じっくり見たいのに、すぐに画面が切り替わってしまい、祭りを楽しめない。
しかも、時々、原色の衣装をまとった若者たちの、激しい踊りの映像がはさまれる。
黒、赤、緑など、原色ではあるものの、どこか和の雰囲気の衣装。
踊る人たちのグループ別に衣装と踊りが違い、いずれも大音量、テクノ風の音楽、手には鳴子……なんだろう?
レポーターの「よさこいチーム○○でした」という解説で、若者達が踊っているのが「よさこい踊り」だと、やっと気がつきました。
でも、よさこい踊りって、こんなのだったかな?……私の頭の中は、驚きと疑問でいっぱい。
こうなると、がんがら火祭りよりも、原色で大音量、動きの激しい「よさこい」の方に目を奪われて、祭りが楽しめない。
「それにしても、がんがら火祭りで、なぜ、よさこいなのですか?」
私も訊いてみたかったことを、番組レポーターが、町づくり協議会の人に質問しました。
協議会の人は、あっさり言いました。
「地域振興のためです」
おいおい。ちょっと待たんかい。
300年以上の歴史を誇る「がんがら火」の真っ最中に、なんてこと言うねん。
必死で大松明担いで歩いてる男衆や、松明かかげて行列してる子供たちの立場は、どないなるねん。
なにも「よさこい」がいけないとは言いませんが……。
これでは、がんがら火祭りに関わっている人々……
大松明担ぎの男衆、子供松明をかかげる子供たち、送り火の点火や管理をしている人たち。
大松明の製作、提灯の繕い、行進順路の交通規制の手続き。
消防署への連絡など、色々と下準備してきた、がんがら火保存会の人々や、城山町・建石町地区の人が気の毒です。
それにしても、この「よさこい」……
「高知の鳴子を使った伝統的祭り。最近、なぜか札幌でも、よさこいソーラン祭りという、似た祭りが行なわれている」……私の認識は、その程度で。
昔、私がテレビで見たのは、着物を着た人が鳴子を持って踊っている光景でしたが……。
『ウィキペディア』(2007.9.5 11:06時点)によると……
よさこい祭りは、地域振興のため、阿波踊りを意識した高知商工会議所がはじめたもの。
1954年(昭和29年)からスタート。
祭りの楽曲「よさこい鳴子踊り」の作曲者、武政英策氏が、鳴子(作物を狙う鳥を追い払う農機具)を手に持って鳴らすことを発案。
祭りがはじまった当初は、日本舞踊の振り付けを踏襲した盆踊りスタイル(正調よさこい鳴子踊り)でした。
たぶん、私が昔、テレビで見た「よさこい踊り」は、これですね。
その後、武政氏が、楽曲の自由なアレンジを許可。
現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌、フラメンコ、フラダンスなど、各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けを披露。
衣装や化粧も凝っている。
トラック型の地方車(じかたしゃ)に音響機器を搭載し、踊り子が、その後に連なって通りを踊る形式。
一方、高知県出身で、北海道大学の大学生が、「よさこい祭り」のチームを招いてはじめたのが、「YOSAKOIソーラン祭り」。
第1回は、1992年(平成4年)開催。
その後、全国に「よさこいチーム」ができ、全国大会が開かれたりして、地域の町づくりイベントとして重宝されている……らしい。
どうやら、「よさこい」が、これほど広まったのは、踊りの発祥が新しく、「地域・伝統」から距離があること。
参加ルールが簡単で、振り付けや曲や衣装などの自由度が高いことが、原因らしい。
「1チームの参加人数は150人以下」。
「鳴子を持って前進する振り付け」。
「曲のアレンジは自由だが、「よさこい鳴子踊り」のメロディーを必ず入れる」。
「地方車は各チーム1台」。
……ルールはこれだけですから。
「祭りだから、盛り上がりたいし目立ちたい」若者は、飛びつきますね。
『全国よさこい祭り/YOSAKOIまつり支援サイト』によると、よさこいチームは、大きく分けて次の3種類。
「祭好き、踊り好きな仲間」
「学校、幼稚園、町内会などの地域の宣伝」
「企業の広告的存在」。
全国各地の祭りに招かれたり、コンテストに参加したりと忙しいようです。
しかし、「がんがら火祭り」に「よさこい」は必要だったのか……
300年以上の歴史を誇る伝統行事だけでも、十分「町起こし」ができるような気がしますが。
来年の中継では、がんがら火の歴史や苦労などの映像(それが少なかったので、調べるはめになった)を加えて、もうすこし「がんがら火祭り」中心にしてもらいたいですね。
ラベル:池田
でも、小学校などでちゃんと教わった記憶は何故か無い…。
地区外の市民には良く知らない人も多いんでは?(自分はそうだったんで)
最近ケーブルTVの中継が始まってから、市民にも人気?が出てきてようです。
間近に見る松明の迫力はすごいので、お近くの方はぜひお越し頂きたいです。