道場で、初心者相手に「正面打ち入り身投げ」の稽古をしていた時です。
「正面打ち」は、手刀を大きくふりかぶり、一歩踏み出して相手の額めがけてふりおろす動作のことで、「入り身投げ」は、それをよけて相手の側面に入り、投げ飛ばす技のこと。
合気道は、刀や短刀を持った相手を素手で取り押さえる「柔術」という技術から発達したものなので、刀の動きをまねた動作が多くあるのです。
この時の稽古は「受け(技をかけられる人)最初の正面打ちは寸止めで、取り(技をかける人)はよけてはいけない。受けが正面打ちを終えて一歩下がるところから、取りが技をかけにいく」というもの。
私の相手は、空手のようなフットワークをする長身で手足の長い初心者の男性。
「一歩踏み出して正面打ち」を失敗して、「二歩飛んできて顔面に肘打ち」になってしまい、私は左目にまともに肘打ちを食らってしまったのでした。
こういう時、武道では「不覚を取る」といい、よけ損なった私の方が未熟ということになります。
すぐに左目が見えているのを確認して、「大丈夫ですから」とパニック状態の初心者を落ち着かせ、稽古を続けました。
その技が終わり、稽古を抜けて洗面所で顔を見ると、思わず自分でもぎょっとしました。
左目のまぶたが腫れて、どす黒くなりはじめています。
ちりちりと痛むので、水に浸したタオルで目を冷やしていると、師範夫人がやってきました。
「どうしたの?」
「正面打ちで失敗して肘打ち食らいました。でも、たいしたことないと思います」
「ちょっと見せてごらんなさい」
師範夫人は私の左目を見るなり顔色を変え、部屋の奥から「ひえぴたシート」(冷湿布)を持ってきました。
「すぐさま、これを左目に貼って」
「えっ? あの、まだ稽古が。目が見えてるし、大丈夫ですから」
「今日の稽古はもうやめなさい。今、それを冷やさなきゃ、大変なことになるわ」
師範夫人の断固たる口調に押されて、しかたなく私は「ひえぴたシート」を左目に貼って、後の稽古は見学することにしました。
湿布で左目を覆って、道着袴姿で正座して稽古を見学していると、稽古している他の門下生の驚きと好奇の視線が集中して、本当にかっこ悪かったです。
稽古が終わるなり、指導していた道場長代行は言いました。
「俺が『よけるな』と言ったばっかりに。今回は気の毒だったな。まあ、無理するなよ」
「目の上の骨のところに肘が当たったんですね。眼球じゃなくて本当にラッキーでした」
若い女性有段者たちも心配して見に来てくれました。学生時代から合気道をやっている彼女たちは、事の重大さを私よりもわかっていたようです。
「今晩どれだけ冷やせるかが勝負です。髪の毛は水で洗って、とにかく目を冷やしてください。たぶん、しばらくアザが残るけど。アイシャドーで隠せるといいんですが」
左目に間抜けの印の「ひえぴたシート」を貼ったまま家に帰りました。
夫は『正面打ちで不覚を取って左目に肘打ちを食らった話』を聞くなり大笑い。
その後、私の左目を見て言いました。
「直撃食らってないところを見ると、『よけるな』言われてるのに、体が無意識によけたな」
「そうかなあ」
「これが眼球直撃やったりしたら、下手すりゃ失明や。俺は空手の指導員やってたから、こういうケガはよう見てきたけど、これはたいしたことないわ」
「私もそう思う」
「すり傷や切り傷ないから化膿することはなさそうや。内出血がこの範囲でとどまってるのは、すぐに冷やしたからやな。師範の奥さんには、ようお礼言うとくんやで。たぶん、明日からまぶたは腫れるやろけど、とにかく冷やせ。内出血が広がるかもしれんから、眼帯しとく方がいいぞ。もし、異常感じたらすぐに医者へ行け。眼科じゃなくて外科やで。抗生物質の塗り薬があればええんやけど。……たぶん、アザが半月残るやろけど、それは化粧の厚塗りでなんとかしとけ」
さすがに、空手四段剣道三段少林寺拳法三段合気道二段柔道初段の人の指示は的確です。
そして、夫の予想通り、翌日から私の左目は腫れはじめました。
……次回に続く……
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