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2005年11月22日

なりたかったもの、なってしまったもの。

先日、合気道の道場で3段の男性の送別会がありました。
彼は国際海外協力隊の一員として、合気道の指導をするために、この年末にポーランドへ赴任します。中学生の頃から「合気道を通じて世界の人の役に立ちたい」と、合気道の稽古や英語の勉強に懸命に努力して、就職しても何年も勉強を続けて、色々な難関をくぐって、20年近くかけて夢を実現した彼は、本当に輝いて見えました。
それにひきかえ私は……

わたしのなりたかったもの……図書館司書でした。

高校時代、図書委員で図書室に入りびたりだった私は、図書室の先生から「図書館司書」という職業を紹介されました。
「図書館の本を管理する仕事で、「レファレンス」という、利用者の知りたい情報を探す手伝いができる」と聞きました。

「生活が安定していて、本に関われて、人の役に立てる」……元々本が大好きでしたから、「これは天職」と思いました。

家に一番近く、図書館司書の資格が取れる短大が国文科でした。
国語は得意だったので、深く考えずに担任教師に推薦を依頼すると、「そうか、国文科か。お前は文才あるからなあ」と、12年間続いていた「各担任申し送り要指導生徒処分」を「なかったこと」にして、推薦書を書いてくれました。

短大に入学して、図書館司書の資格も取れ、採用試験も受けましたが、私が受験した年は円高不況で倍率は60倍。見事に不採用になりました。

その当時は図書館司書の求人は少なく、今のように各学校に司書を配置する政策もありませんでしたから、前任者の退職で空きが出るまで、何年も待たなければならない状態。
次の採用試験は何年先になるかわからない。
そんな状態なので、とりあえず銀行の派遣社員や経理事務員をしながら、次のチャンスを何年も待ちました。
受験資格は27歳まで。
それまでに採用試験がなければ、チャンスはありません。

そして、チャンスは私が27歳の秋に訪れました。
でも、その頃、私は結婚していて、義母が倒れ、生きるか死ぬかの大手術を控えていた時。
皮肉にも「年明けから勤務できる人」という応募条件がついていました。

義母が手術に成功しても、数ヶ月、場合によっては、数年間の介護生活が待っています。
受験の準備も満足にできていない。そんな状況で受けても……受験を断念して、義母の介護をしました。……結局、義母は手術に成功して、自活できる程度に回復しました。

今考えると、たとえ勤められなくても、試験だけでも受けておけばよかった。


この数年は市も財政難で、図書館にいるのは大半がアルバイト。
例えば「減塩料理の本はどんなものがありますか?」と聞いても、「奥から3番目の棚じゃないですか。わからなければ端末で調べてください」としか答えられない。

レファレンス能力がない司書を見ていると、「図書館司書は、私のやりたかった仕事じゃない」と思います。
そのくせ「友達に図書館司書の子がいて」と聞いただけで、内心うろたえたりする……どこかに未練があるのでしょう。

前に母に「生活が安定していて、本に関われて、人の役に立つ図書館司書になりたかったなあ」とぼやいたら「何言うとんねん。生活安定してて、賞獲って本出して、読んだ人に喜ばれてるやんか。普通の人は、自分に合った仕事に就くのも、好きなことやって大勢の人に評価されることも、ほとんどないんやで」と叱られました。

どうやら、この気持ちにふんぎりをつけるためには、これからも、書き続けて勝ち続けるしかないようです。





posted by ゆか at 13:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常コラム | 更新情報をチェックする
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