それについては非常に興味深い資料があります。
Twitterのまとめサイト『Togetter(トゥギャッター)』。
Twitterはユーザーのつぶやきがランダムに流れていうところですが、『Togetter』は、一つのテーマについてのつぶやきのやりとりをまとめることができるのです。
ここにMototchenさんがまとめてくださった『武道 武術の稽古指導についての談義』があります。
携帯で見ることができるのですが、引用してみましょう。
『おそらく多くの道場がそうだと思うが「長く修行している者は指導者になる」という事が当然のような状態というのは大変おかしいなぁと感じている。ある程度までの階位と指導者としての資質は原則的に別と考えるべきではないかと思う』
『感覚が会社組織に近いですよね。実務がある程度できると管理職に、みたいな』
『教える位置に行くと上がっちゃう人もいる。まあここで限界と決めつけて上がるのを諦めるのは仕方ない場合もあるのかなぁ…。それこそ指導者がそこで引き上げてあげられないことが問題なのだが』
……なるほど。武道武術を長年稽古していている人の中には、「自分が修行したいだけで指導者は嫌」という人も「指導する側になったから自分の修行は一段落」と思い込んでいる人もいるわけですね。
ここで昔の武術の指導法を『杖の品格(ジェラルド・トフ氏が濱地光一師範にインタビューしたもの)』から引用してくださった方がおられました。
『「トフ:最近の教え方は外国人の影響ではないかと思う。外国では理論的にわからないとやりたがらないところがあります。日本人の教え方、教わり方も変わってきたと思います」』
『「濱地光一:昔は、厳格というか、師匠というものが非常に大きく、弟子にへつらうなどということは全然なく、いやならやめていけ、口を挟めばそんなに杖のことがわかるなら来る必要なない。自分の言った通りにしないのは弟子ではない。そんな色々な疑問を挟んで師匠に質問するようなやつはもうそれで終わりだ、という考え方で指導されていたようです。それで伝書などを渡すにもその人が上手であろうと、下手であろうと、先生に気に入られなければだめなのです。それは形の上での上手・下手ということではなく、その人(弟子)の性格、態度が少しでも先生の気に入らなければいくらうまくても伝書も渡さないし、秘伝も教えないという非常に教えるほうに見識があった」』
……うーむ。厳しい。
しかし、本来武術は殺人技術でもあるので「教わる側の資質が問われる」のもわかるような気がする。
さて、話は現代の武道武術の指導の話に戻ります。
『結構多いのが意図せずに意地悪をしてしまう指導。型の前提条件から外れているから、上手くいくわけがない状態にして失敗させる。そりゃ技知ってるから、失敗させるのも簡単で、後輩はそういう前提条件が整っていないことがわからないからいつまでもできない』
『そこで先輩が指導し、言うとおりにすると出来るようになる。受けが成功させるからそりゃ上手くいくのは当たり前なのだが、先輩は正しく指導も凄いとなる。ところが他の人と本来の動きがまずできないからうんうん唸る…』
『私は型稽古における「技掛からない病」の一番の問題だと思っている。そういう人は当然前提条件を整える事の大事さを理解していないので、傍目で指導していてもそこを見とらないで技術的な部分でしか指導しない。そもそも間合いが外れて届いていないのに対処している事とかまったく気づかなかったりする』
……「技掛からない病」。
『先輩の言うとおりやったはずなのに、他の人と技をやると途端に退歩したようにできなくなってしまう』。
これは私も悩まされています。
稽古している最中、こちらが投げる前に受身を取られてしまったり、きちんと間合いを作れていないうちから受け(技をかけられる側)に崩れられてしまったり。
逆にどうしても崩せない相手がいたり。
私が思わず『同じ病気の人だ』とつぶやいてしまった後、大勢の柔術家や合気道家が話題に参加。
柔術や合気道は二人一組で稽古することが多いですから、「受けは、どの程度取り(技をかける側)に合わせることが、取りのためになるのか」というのが、共通の悩みなのです。
「初心者を相手する場合をのぞいて、受けは簡単に技にかかってはいけない」という結論になりましたが、相手のレベルに応じて「技のかかりにくさ」を変える必要はあります。
でも、正直なところ「型を理解しているか」と訊かれると不安。
『まずそういった型の要求である前提条件とその遵守の大事さを理解してもらうのが中々難しいです。初学の頃から指導すると良いのですが、すでに一定のスキルを身につけてしまうと、前提条件が整わなくても、ある程度どうにか出来る…悪く言えば浅知恵的なものがあり』
……うーむ。指導する方も悩んでおられるようだ。
『それこそ個人差もある中の誤差までも自力で修正しつつ、前提条件を整えるというのは中々に至難の技で、だからこそ古流では上級者が打ち太刀、受けを務めるのでしょうね』
なるほど。先輩が受けをとって、徐々に後輩に「正しい型」を教えていくのですね。
……こんな感じで、それぞれの武道武術、それぞれの立場で「いかに指導するか」について、皆さん真剣に悩んでおられるわけです。
もちろん、「武道家の先生」は多数おられるし、学校では武道の部活もあるし、体育での授業もありますが。
道場での指導と学校での指導とは異質なものだと思います。
谷川副大臣の武道家に対する期待もわからなくはないけど、やはり、学校の問題は学校の関係者で解決してほしいものです。
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